タグ

建築と宗教に関するchiezo1234のブックマーク (2)

  • 新宗教がつくった美術館”MIHO MUSEUM”に行ってきた。 - 無印都市の子ども

    先月、滋賀県甲賀市にある美術館“MIHO MUSEUM”に行ってきた。何枚か写真を撮ってきたので、今回はそのレポートを書こうと思う。 MIHO MUSEUMは、宗教法人“神慈秀明会”によって作られた美術館で、その創始者である小山美秀子さんの美術品コレクションが展示されている。 滋賀の小さな駅(JR石山駅)からバスで終点まで50分、山道を登ったところにあって、お世辞にもアクセスがよいとは言えない。そんな山奥に佇むこの美術館の設計コンセプトは“桃源郷”。俗界を離れた他界である。 MIHO MUSEUMはミシュランの三ツ星観光地に選ばれたこともあり、外国人には人気の観光スポットらしい。僕が行った時も外国人観光客が割とたくさんいた。 しかし、日国内での知名度はさほど高くはない。関西に住む僕がこの美術館の存在を知ったのは、つい最近のことだった。 建築はI・M・ペイ氏、ミノルヤマサキ氏 美術館の建物

    新宗教がつくった美術館”MIHO MUSEUM”に行ってきた。 - 無印都市の子ども
  • 「リノベ」で復活する台湾の日本神社――歴史のなかの「自分探し」が背景に - Yahoo!ニュース

    かつて、台湾が日の一部だった時代があった。日台湾統治は、1895年の日清戦争の勝利で始まり、1945年の太平洋戦争の敗北によって、ちょうど半世紀で終止符を打たれた。50年という時間は決して短くない。日台湾は、統治と被統治という不平等な関係ではあったが、台湾の近代化に貢献しようと頑張った日人も多かった。結果として、台湾では建築や鉄道など多くの「日」が残され、いまもなお生きている。その一方で、姿を消した「日」も少なくない。地名の大半は、孫文や蒋介石など指導者の名前から取った「中山路」や「中正路」や中国の地名に改められた。日人の信仰の対象であった神社もまた、消え去った「日」だとすっかり思われてきたのだが、このところ、いささか様子が違うのである。 (ジャーナリスト・野嶋剛/Yahoo!ニュース編集部) 日統治時代に、無数の神社が台湾に建てられたが、日人が去ると管理する者もな

    「リノベ」で復活する台湾の日本神社――歴史のなかの「自分探し」が背景に - Yahoo!ニュース
  • 1