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jkondoに関するchira_rhythm55のブックマーク (4)

  • 近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”

    「このサイト、知ってますか」――はてなの近藤淳也社長は、街を歩く人に声をかけ、同社のサイトを見せながらこんなふうに聞いて回った。そして愕然(がくぜん)としたという。 「誰もはてなを知らないんですよ。かろうじて人力検索を知っている人がいるくらい。街でたまたまはてなユーザーに会う、なんてことはあり得ない」 はてなの登録ユーザー数は約90万人、月間ページビューは7000万強。ユーザー数は、はてなより後にサービスインした「mixi」や「ニコニコ動画」の10分の1以下だ。 Web2.0ブームのころ。近藤社長は「ナナロク世代」の代表格とされ、はてなは「日Google」ともてはやされた。だが規模と知名度はGoogleに遠く及ばず、ユーザー数で後発に抜き去られた。 目標は変わらない。「世界に通じるサービスを作りたい」。だがそのためのルート選びで、少し回り道――技術者ルート――を採ってしまったと感じてい

    近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”
  • 弱者からの革命 - jkondoの日記

    うさんくささからの脱却、という事と同時によく考える事に、弱者からの革命、という事がある。社会の大きな変革は、それが起こらないとどうしようもないという切実な問題を抱えた者にいかに応えるかというところから起こるのではないか、という事だ。インターネットがないとどうしようもないという人々、生活の大半、自分が社会と認知しているものの大半はインターネットである、という状態の人々がいる。こういう人と真剣に向き合い、自分もその立場に身を置くことで見えてくる可能性から未来を拓く事ができるように思う。 例えば最近サイボーグ技術が非常に進化しているようで、少し前にとある映像で見たのは、腕を失った人が、胸の神経近くに電極をつけ、「腕を動かしたい」という意思を電極から汲み取ってその意思に応じてサイボーグの腕を動かすというものだった。慣れてくると次第にコップを持って動かす事くらいはできるようになる様子を見て衝撃を受け

    弱者からの革命 - jkondoの日記
    chira_rhythm55
    chira_rhythm55 2008/04/16
    はてなスターはweb拍手とカブる/弱者は情報弱者を含めて考えると面白そう
  • 京都で一緒に働きませんか - jkondoの日記

    はてなの京都オフィスの内装計画もいよいよ大詰めでプランがほぼ固まってきた。4月中旬には内装工事も終わってオフィスが正式オープンできることになった。社移転発表後はたくさんの採用応募が来ており毎日書類選考に追われている状態だが、改めて今回のはてなの京都への社移転に伴って、特にサービス開発周辺でこういう人を募集していますということを紹介したい。 サービスクリエイター、ウェブディレクター まずはサービスクリエイターおよびウェブディレクター。京都新社の最大のミッションは、既存のはてなサービスを盛り上げながら、次なるヒットサービスを作ることだ。そのまとめ役をするのがクリエイター・ディレクターである。 今のところ両者の違いは、クリエイターは自分でプログラムも書いてプロトタイプや製品まで作ってしまう力がある人で、ディレクターはプログラムは書かないがデザインなどはでき、クリエイターとエンジニアの橋渡し

    京都で一緒に働きませんか - jkondoの日記
  • 株式会社はてな 代表取締役 近藤淳也 — 独立・起業なら ドリームゲート

    株式会社はてな 代表取締役 近藤淳也氏のビジネスからプライベートに至るまでのインタビューです。起業したい方、経営者には必見です。 1975年、愛知県生まれ。4歳で、三重県へ移転する。小学校時代から、自転車の魅力にはまる。いつか、ツール・ド・フランスに出場するような自転車レーサーになりたいと思っていた。三重県立四日市南高校卒業後、京都大学理学部に入学。大学ではサイクリング部に所属し、20歳の時、ひとり自転車アメリカ大陸を横断している。大学卒業後は、同大学大学院理学研究科へ。1年間と決めて自転車レース活動に専念。その後、2年次に大学院を自主退学し、プロカメラマンとしての活動を始める。その頃、父がインターネットの検索で苦労している姿を見て、人力検索サイトの着想を得る。2001年7月15日、「人力検索サイトはてな」を公開し、有限会社はてなを設立。その後も、数々の苦労を乗り越えながら、はてなは次々

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