「うみねこのなく頃に」という作品(以下うみねこと略)は、現状で一意的な回答を出せるようにはなっていない。先のエントリでもあげたように、推理というのは「テクストと読者の共感性に拠って立つものであり、論理実証主義に基づいていないからだ」という問題もあるが、むしろ意図的に解を発散させようとしているように見える。それは選択次第で別のストーリーラインが描かれる、選択肢式ノベルゲーの構造に近い。 ならば、真実は人の数だけある、という方式でもいいのではないだろうか。そういう意味で、うみねこという作品はかなり譲歩し、ポストモダン的なテクストとの戯れの可能性を示唆しているにも拘らず、最終的には豊穣な可能性を切り捨てているように思える。うみねこは多世界同時存在解釈が一番スマートに当てはまる形式なのに、それをあえてむりやり一意的現実に収斂させようとしているように見える。 上記のような理由で、むりやり一意的な回答