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論:作品に関するcloverleaf24のブックマーク (11)

  • 「うみねこのなく頃に」が非選択肢式オムニバスノベルであるべきたったひとつの理由 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「うみねこのなく頃に」という作品(以下うみねこと略)は、現状で一意的な回答を出せるようにはなっていない。先のエントリでもあげたように、推理というのは「テクストと読者の共感性に拠って立つものであり、論理実証主義に基づいていないからだ」という問題もあるが、むしろ意図的に解を発散させようとしているように見える。それは選択次第で別のストーリーラインが描かれる、選択肢式ノベルゲーの構造に近い。 ならば、真実は人の数だけある、という方式でもいいのではないだろうか。そういう意味で、うみねこという作品はかなり譲歩し、ポストモダン的なテクストとの戯れの可能性を示唆しているにも拘らず、最終的には豊穣な可能性を切り捨てているように思える。うみねこは多世界同時存在解釈が一番スマートに当てはまる形式なのに、それをあえてむりやり一意的現実に収斂させようとしているように見える。 上記のような理由で、むりやり一意的な回答

    「うみねこのなく頃に」が非選択肢式オムニバスノベルであるべきたったひとつの理由 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    cloverleaf24
    cloverleaf24 2009/03/03
    ひぐらし時にはAIRの影響となんたらかんたら言っていた気がするのでKey関係があるかも。
  • 推理は可能か、不可能か――「うみねこのなく頃に」におけるフェアプレイ性―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「うみねこのなく頃に」という作品は、一見推理ゲームのように見えるが、その条件を完全に満たしているとはいえない。推理ゲームにおいては、与えられた手掛かりから得られる最もありそうな唯一の解を選び出すことが前提とされるが、当作品において与えられる情報は非常に少なく、解の発散――複数の解が同時に存在しうる状態を呼び起こしている。これは推理ゲームとしての欠陥なのか、それとも必然なのかを問うことは「うみねこのなく頃に」(以下うみねこと略)という作品を解釈する際、大きな意義を持つだろう。 まず、推理ゲームにおける推理というものが、実際には上記のごとき論理実証主義的なものではなく、テクストと読者のある種の共感性によって成立するものだということを指摘しておきたい。厳密に解が収斂するほど証拠を積み重ねた作品はさほど多くなく、多くはテクストが提示する断片的な証拠から推定されるいくつかの解のうち、よりもっともらし

    推理は可能か、不可能か――「うみねこのなく頃に」におけるフェアプレイ性―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    cloverleaf24
    cloverleaf24 2009/03/02
    存在してる解と、隠されてる解が織り成す作品。前作ひぐらしがそうだったのである程度の推理はできる。
  • 竜騎士07のミステリーが「本格推理」でない単純な理由 - 魔王14歳の幸福な電波

    格ではない 『うみねこのなく頃に』のミステリー的側面を語るために一点はっきりさせておかなければならないのは、作がある種の定義における「格推理」の論理によっては作られていない、そもそもそれが目指されていないという点です。たしかに作は「プレイヤーが作中の謎に挑む」という構図が採られています。けれど、だから作が「格推理」の文脈で読み解くべきものだと考えるのは早計ですし、その要件を満たしていないから不完全であると批判するのは少々筋違いです。 作が格推理の文脈に当てはまらない点は色々考えられます。でもまず根的なところで、作は「真相の看破に必要な情報は、出題段階で全て明かされなければならない」という格推理の基的な要件*1を構造上まったく満たしません。それを指向してもいません。なぜなら作は「推理→検証→新しい事実の発見→推理→検証→新しい事実の発見→……」という過程を繰り返しな

    竜騎士07のミステリーが「本格推理」でない単純な理由 - 魔王14歳の幸福な電波
  • 「アンチミステリーVSアンチファンタジー」の行く先 - 『うみねこのなく頃に』の捉え方について - 魔王14歳の幸福な電波

    かつてミステリーの素人だった竜騎士さんは前作から一年を経て、取り返しがつかないほど理屈を知ってこの世界に戻ってきました。*1 前作『ひぐらしのなく頃に』のミステリー的失敗は、いまや語り草とも言えるありさまで知る人に知れ渡っています。その反省と超克のため、竜騎士さんははミステリーというジャンルに関するひと通り以上の素養を学んだようです。ある種の理論武装をした彼が新シリーズとして発表したのがこの『うみねこのなく頃に』で、この辺の話は第一作公開直後の記事『うみねこのなく頃に』のミステリー・リベンジっぷりに書いたとおりです。 学んだと言っても門外漢である彼はやっぱりどこかズレていて、ミステリーというジャンルの文脈そのものに乗っかって作品を作るということはしてくれません。けれど、『うみねこのなく頃に』がミステリーの文脈をそれなりに理解していなければ決して作ることのできない作品であるのも事実でしょう。

    「アンチミステリーVSアンチファンタジー」の行く先 - 『うみねこのなく頃に』の捉え方について - 魔王14歳の幸福な電波
  • - エキサイトニュース

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    cloverleaf24
    cloverleaf24 2008/11/28
    でもまあけっこう有りがち
  • 物語のメディアと「神の視点」 - tukinoha’s blog

    僕たちは時々「神の視点」という言葉を使いますが、たとえ無神論者でなくても一神教的な神の姿を具体的にイメージしながらその言葉を使っているわけではなく、その意味は非常に曖昧なものであると思われます。今回はその「神の視点」について少し考えてみましょう。 散々語られている内容だと思いますが、それでも語っておかないと先に進めないので……。 例えば映画における「神の視点」だと、どんなショットがそれに該当するのでしょうか?僕のイメージだと、映画の冒頭で使われることの多い、話の舞台を俯瞰したショットがそれに当たります。上空から物語の舞台全体を俯瞰し、より低い視点から街の一部を切り取ったショットをそれに繋げる方法。映画冒頭における定石のひとつであると言えるでしょうが、そこには見過ごすことの出来ない、僕たちが物語空間を把握する際の特徴が現れています。 それはつまり、ある意味ではフィクショナルな存在である物語の

    物語のメディアと「神の視点」 - tukinoha’s blog
  • http://yaplog.jp/clover1517/archive/846

    http://yaplog.jp/clover1517/archive/846
  • ゲーム機で見る映画とそれを越えるもの

    論考:「ゲーム機で見る映画」とそれを越えるもの ~旧Tactics(ONE)、Key(Kanon)、新生Tactics(鈴がうたう日)の比較~ ゲーム誌ライターにして小説家の手塚一郎氏がファミコン最後期のソフト、メタルスレイダーグローリーという表現に贈った言葉に以下のようなものがある。 「プレイヤ-を必要とする映画なのだ。」 「AVGは果たして映画になれるのか ?」 「ファミコンでアニメを観るーー何かいいな。」 論考ではこの言葉を元に、「ゲーム機で見る映画」略して「ゲーム映画」という表現、そしてその分化した表現として「分岐型ストーリーゲーム」という表現を定義し、その枠の中で持ってタイトルに上げた3作品を評価、考察していく事とする。 まずは「ゲーム映画」の説明から入ろう。 かつて、コンピュータゲームはカードゲームやビリヤード等と同様の勝利を目的とした「ゲーム」であった。 コンピュータゲーム

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • (ギャルゲーとかで)鈍感すぎる主人公というのも、特殊性の証明になったり - notable or ordinary

    また同人ゲーム「ひまわり」から思い立った話。 公式サイトのあらすじで分かる程度のネタバレと、序盤の感じを匂わす程度のネタバレを含みます。 僕はゲームプレイ速度が非常に遅いので、まだ序盤なんですけど。 ゲーム開始直後は、いろいろと、人物とか出来事とか過去とか現象とか、それ単体の持つ意味もこの文脈でそれが出てくる意味も不明だなって情報が多く登場してくるのですが、ゲームを進めるにつれ、台詞や行動や記憶などから、その情報を補足するような情報や、情報と情報を結び合わせられるような情報が出てきて、まるで推理物かのように、分からなかった情報達に推測を宛がうことが出来ます。 えっと、具体的には。 アリエスとかアクアの存在そのものとか、雨宮とか西園寺とか宇宙事業とか、月とか、指輪とかそこに刻まれた文字とか、主人公の家族(だった人)とか記憶喪失(2年以上前の記憶がない)な主人公の過去とか。 そういうものに対す

    (ギャルゲーとかで)鈍感すぎる主人公というのも、特殊性の証明になったり - notable or ordinary
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    台湾ひとり事旅(前編) 台湾へ行ってきた。チケットと宿を予めおさえていたものの、台湾地震の発生で予約を一度はキャンセル。その後の台湾観光庁の旅行に来て大丈夫だよ、という声明を確認してやはり行くことに。 目的はシンプルで、台北周辺で美味しい事をたくさんべること。そして自宅…

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