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家族に関するcumin02のブックマーク (4)

  • いいまわしをひとつかえただけで、離婚危機を脱した

    ちょっと大げさかもしれないし、あくまでうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。 結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。 同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。 その歪みが積もり積もって夫婦の関係を冷ややかなものにしてしまっていた。 なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。 おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。 しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。 この言葉は、一見自分の要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。 ところが、

    いいまわしをひとつかえただけで、離婚危機を脱した
  • 独身のまま40代を迎えた私が、結婚について思うこと(文・小林エリコ) - りっすん by イーアイデム

    文 小林エリコ 自分に子供が生まれたら愛せるだろうか。結婚する必要ってあるんだろうかーー。そんなことをふと考えた経験はないでしょうか。 複雑な家庭環境で育ち、10代の頃には「結婚しない」と決めた小林エリコさん。40代になった今、恋人との同居を考えています。ここへ至るまで、周囲の言葉や自分の中の孤独と向き合いながら、結婚や出産の意味を模索してきました。 「家族から解放されたい」と願う小林さんがたどり着いた思いとは。結婚や出産に対する認識が変わっていく、その過程をつづっていただきました。 独身、子なし、40代 私は10代の頃、結婚に対して少しも憧れなかった。父は酒を飲み暴力を振るい、経済力のない母はそれに耐えるだけ。そんな様子を見て、「絶対に結婚するものか」と決意していた。そして、自分でバリバリ働いてお金を稼ぐことを夢に見ていた。 しかし、その目標はあっという間に崩れ落ちた。親に希望の進路を反

    独身のまま40代を迎えた私が、結婚について思うこと(文・小林エリコ) - りっすん by イーアイデム
  • 両親の離婚について

    私の両親は仲がとても悪かった。 母にとって、父は敵だった。 母は、私と妹を「自分の味方」=「父の敵」にしたがった。 私たちに父のことを悪く言い続け、結果、妹は父とはもう関わらないと決めた。 私は、父のことも、母のことも、どうしても嫌いになれず、もうずっと苦しいまままだ。 中学校の数学の授業で、『マイナスかけるマイナスはプラス』を『敵の敵は味方』、 『プラスかけるマイナスはマイナス』を『味方の敵は敵』と解説した教師がいた。 その理屈が全く分からない子と、よく分かる子がいて、 私は後者だったのだけど、よく分からない方がずっとしあわせだ。 私が夫とうまくいかないこと話すと、母は「私の時はこうだった」と 父の嫌いだったところ、不仲だった原因を滔々と語ってくれる。 夫とのことで苦しんでいるときに、思い出したくないことを聞かされるのは、つらい。 父の悪口を聞かされるのはつらい。嫌なところもあるけれど、

    両親の離婚について
    cumin02
    cumin02 2017/02/06
    似た環境で育った。これは本当に地獄。妹は実家が好きでよく帰省して母と仲良くしているし、結婚もできている。
  • 実家に帰るのが苦痛で仕方ない

    大学進学を期に家を出て4年、都会で働き始めて3年になるが、実家に帰るのがつらい。 きっかけは同棲してる彼女のことで揉めてからだが、帰るたびに、なかなか直には言わないが、嫌味や悪口を混ぜてくる。 土産を渡しては「会社でべろ(彼女にわせるな)」といい、顔を見ては「痩せた、顔色が悪い、ちゃんとたべてないのだろう」という。 それ抜きにしても容姿を弄る。髪ボサボサで会いに行ったときは、浮浪者、宗教信者、メンヘラくさいと馬鹿にしたように言う。 被害妄想が入っているのはわかる。いい歳した男がそんなこと言われて逆ギレかよ、というのは理解できる。だから、抗議しても「考えすぎだ」「家族だからだろう」と言われて言い返せなかった。 でも、そんな家に帰りたくないのはわかってほしい。言われてどう思ったか少しは気にしてほしい。悪気はないのは知ってる。それなのに、老い先短い祖母を話題に出して「会いたがってるよ」なんて

    実家に帰るのが苦痛で仕方ない
    cumin02
    cumin02 2016/12/20
    わたし長年苦痛でしたが、生まれて初めて少し本音行ったら罵倒されまくったのでもう帰るのやめました。それでも老後の世話はわたしがしなければなりません。たぶん。
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