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人生と1月に関するdaabtkのブックマーク (2)

  • 1日2000ボケ。生きてる時間全部大喜利に使っていた『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキの正体 - エキサイトニュース

    たった1日で、大喜利のお題を100個考え、2000ボケる。 たった1日で、新作漫才やコントを15書き上げる。 伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん。10代から生活の全てを笑いに差し出し、圧倒的なインプットとアウトプットを経て、勝手に頭の中で5秒に1個ボケが生まれるまでになった。『ケータイ大喜利』でレジェンドの称号を獲得し、ラジオや雑誌の投稿企画で常連となった。しかし、あまりにも笑いに特化した日々は、世間から認められなかった。 その道のりを記した私小説が『笑いのカイブツ』だ。「人間関係不得意」で知られるツチヤタカユキさんに、同じくケータイ大喜利レジェンドの井上がインタビューしました。 同じ日にレジェンドになった2人 ≪もしも大喜利が苦手な僕が、この番組で「レジェンド」になることができたら、その瞬間に、才能は努力でカバーできるということの証明になるのではないか?もしもレジェンドになれたら、

    1日2000ボケ。生きてる時間全部大喜利に使っていた『笑いのカイブツ』ツチヤタカユキの正体 - エキサイトニュース
  • 追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健 - 週刊アスキー

    任天堂の代表取締役、岩田聡さんが亡くなられたというニュースを見て、非常にショックを受けています。あまりにも偉い方になられていたので、もう長年お会いしたことはありませんでしたが、引退されたら久しぶりに昔話でもしに遊びに行こうと思っていたからです。 岩田さんに初めてお会いしたのは、1982年の8月だから33年も前のこと。岩田さんが23歳の新入社員だった時代です。 高校2年生とプログラムを共同開発 高校2年生だった私は、夏休みを使って当時のパソコン、NECPC-8001用にサウンドボードを開発し、それを駆動するためのプログラムを作ったのです。自画自賛ですが、とてもよくできたので、雑誌で見かけた会社に連絡をし、買い取ってもらえないか交渉をしていました。 5社ほど面談に行った会社の中で、第一希望だった会社がHAL研究所。5~6人の小さな会社で、そこで対応してくれたのが岩田さんでした。 結果的に、H

    追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健 - 週刊アスキー
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