東京デザイナー学院(現:東京ネットウエイブ)在学中から先にアニメーターになっていた兄・吉成鋼の手伝いをするようになり、自然とアニメ業界入りした[3][4]。1991年発売のOVA『暴走戦国史 スペクター誕生』で自身初の動画・原画を経験。その後も同様の形式で様々な作品に参加する。しかし、そのまま兄の手伝いを続けるのは嫌だったので、きちんと会社に入ろうと決意する[4]。 専門学校卒業後、1992年にマッドハウスに入社。動画マンとしてキャリアをスタートするが、一年も経たないうちに退社し、ガイナックスに移籍する[2][3][注 1]。動画期間3ヶ月を経て、同社で当時制作中であった『蒼きウル』にイメージボード等として参加する[6]。 1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』でメカ作画監督や原画を担当。第二話「見知らぬ、天井」では、初号機と使徒との戦闘シーン後半の原画も手がけた[7]。 2000年、『フ