タグ

Wikipediaとラテン語に関するdasukemaineのブックマーク (1)

  • タプススの戦い - Wikipedia

    ファルサルスの戦いで敗北し、エジプトで元老院派の総大将であったグナエウス・ポンペイウスが殺害された後も、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ、マルクス・ポルキウス・カト(小カト)を中心として、プブリウス・アッティウス・ウァルス、ルキウス・アフラニウス及びポンペイウス兄弟(グナエウス・ポンペイウス・ミノル、セクストゥス・ポンペイウス)ら元老院派はウティカを拠点としたアフリカ属州へ退き、同盟関係にあったヌミディア王ユバ1世とも連携して、カエサル派へ抵抗する構えを見せていた。 東部属州での問題(ポントス王ファルナケス2世とのゼラの戦い、元老院派に組したギリシャ諸都市の戦後処理等)およびローマでの諸問題(下記エピソード参照)を解決して後、元老院派を討つべくカエサルはシチリアを経て、紀元前47年12月28日に北アフリカ・タプススの南約70キロの地点に上陸し、紀元前46年1

    タプススの戦い - Wikipedia
  • 1