ヴァレンシュタインがバルト海・大西洋提督に任命されたことは、スウェーデンのバルト海の覇者としての地位を脅かした[14]。スウェーデン王グスタフ・アドルフ[注 9]が1631年1月にフランスと同盟を組み(ベールヴァルデ条約)[17]、フランスからの資金援助を受けて3万の軍を率いて参戦し[14]、ポメルン、メクレンブルクから皇帝軍を駆逐した[9]。しかし、新教諸侯のブランデンブルク、ザクセン選帝侯は参戦をためらい、マクデブルクは陥落した(マクデブルクの戦い)[9]。ティリーが復旧勅令執行のためザクセンに進軍すると、皇帝派だったザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世はスウェーデン側に寝返った[9]。スウェーデン軍は1631年9月17日、ライプツィヒの北方、ブライテンフェルトで皇帝軍と対峙し、新式の軍制、装備、戦術を有するスウェーデン軍の圧倒的勝利に終わった(ブライテンフェルトの戦い)[9]。さらにス
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