プロレスラー齋藤彰俊にとって、それは経験のない感触だった。 バックドロップは、相手を担ぎ上げる瞬間、初動で一番パワーを使う。 勢いがついてしまえば、あとは最高点から角度をつけて落とすだけ。 そのはずが、最高点の手前で、相手の体がわずかにグッと重くなった。 一瞬のことだが、その感触は今もはっきりと思い出せる。 ただ、それでフォームが乱れたわけではない。練習から、何千回と繰り返してきた技だ。いつものように決めた。 まだ立ってくる。相手はプロレス界でも最高の「受け」の達人だ。 そう確信して、身をひるがえしたところで、異変に気付いた。 三沢光晴さんは、立ってこなかった。身動きひとつとらなかった。 普通ならフォールなどにいく齋藤の動きに先んじて、レフェリーが慌てて駆け寄る。 「試合を止めろ」と小さく告げたのを最後に、三沢さんは呼び掛けに反応すらしなくなった。 2009年6月13日、広島県立総合体育館