街亭の戦い(がいていのたたかい)は、中国の三国時代における、魏と蜀による街亭(現在の甘粛省天水市秦安県)[1]での戦い。228年、張郃が指揮を執る魏軍が、馬謖が指揮を執る蜀軍を破った。この戦いで破れた蜀軍は全軍撤退を余儀なくされ、第1次北伐は失敗に終わった。 戦いの経過[編集] 225年、益州南部の反乱を平定し後顧の憂いを除いた諸葛亮は、いよいよ先主劉備の悲願であった漢室再興の計画に取りかかった。227年、北伐の準備を整えた諸葛亮は、後主劉禅に「出師の表」を奉って敵国魏の打倒を誓い、自ら諸軍の総指揮を執り漢中に出陣・駐屯した。 諸葛亮に同行して丞相府の諸事を担当する者として丞相長史に楊儀、丞相参軍に費禕が就任した。成都には丞相府の留府が設置され、留府長史に射声校尉の張裔、留府参軍に蔣琬が置かれ諸葛亮の留守を守ることになった。尚書台は尚書令の陳震と尚書僕射の李福に、劉禅の身の回りのことは侍中