アプレッソというベンチャー企業の CTO を務めて6年と2ヶ月になる。変化の激しいベンチャーに比較的長い期間身をおいていたので、社内外のいろいろなタイプのエンジニアと仕事をしてきた。 あるエンジニアが参加することで開発チームが短い期間で大きく変わったこともあったし、開発チームのメンバーが15人いた頃よりも、お互い補い合えるエンジニアが5人くらいの頃の方が成果が出たりすることもあった。 そういう経験を重ねていくにつれ、私の中では、スターエンジニアと呼べる人たちの持っているものについての、いくつかの類型ができてきている。今まで一緒に仕事をしていく中で本当に心強かったのは、最近エンジニアのキャリアパスの議論でよく言われるような財務のわかるエンジニアとか営業もできるエンジニアではなく、あるいは人と異なるユニークな能力を身に付けようとしているエンジニアでもなかった。ではどういうエンジニアが、というこ
悪態のプログラマとある職業プログラマの悪態を綴る。 入門書が書かないプログラミングのための知識、会社の研修が教えないシステム開発業界の裏話は、新人プログラマや、これからプログラマを目指す人たちへのメッセージでもある。 プログラマの評価というのは、かなり早いうちに定まる。新人プログラマが現場に配属されてから数日から数週間のうちに、リーダー達は、彼らをスキルの高いグループとそうでないグループに分けてしまうだろう(もちろん、会社組織としての正式な評価ではなく、自分の頭の中で、という意味だが)。 そして、スキルが高いグループには、比較的難易度の高い仕事が与えられ、そうでないグループには、単純で簡単な仕事が与えられる。 幸運にも工期や工数に余裕のあるプロジェクトに参加できれば、スキルの低いプログラマも、色々と指導してもらえるかもしれない。しかし、それも新人と呼ばれる間だけである。2、3年経ってもまだ
「はてな」という名の小さな会社がある。ネット企業なのに紙と箱で進行管理し、社内会議はポッドキャスティング配信。オフィスがあるのに図書館で仕事したりする変な会社だ。そこで働く“変な”社員を読み解く3回連載。最終回は、2ch発のOS「Mona OS」を開発し、今年4月にはてなに移った「ひげぽん」こと蓑輪太郎さん。 「平凡な人生が好きなんです」――平坦な道を選んで歩いてきたと、蓑輪太郎さんは話す。28年の人生で、波乱を選んだのは2回だけ。OSを作ろうと決めて「2ちゃんねる」にスレッドを立てた時と、安定した職を捨て、「はてな」というベンチャー企業に移った時だ。 スレッド「OSをつくろうpart2」を立てたのは、24歳のころ。プログラマーとして一向に成長できない焦りが、彼を駆り立てた。 OSをつくろうpart2 1 名前: ひげぽん 投稿日: 02/06/18 23:48 独自にOSを作っているまた
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