この夏、日大山形、大垣日大、日大三と日大付属の甲子園常連校を立て続けに破り、ベスト8入りを果たしたおかやま山陽高校。 そのチームを率いたのが、堤尚彦監督だ。アフリカで野球の普及に関わり、甲子園も「世界に野球を普及させるため」目指すという、個性派指揮官はどのような人生を歩んできたのか。知られざる青年時代を『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社、2023年7月発行 講談社発売)から抜粋して紹介する。(全7回の第5回/初回は#1へ) はじまりは、あるテレビ番組だった 東北福祉大の3年生だった1993年の夏。仙台市内のアパート自室の片隅にある、小ぶりなテレビに映し出されたメッセージが、その後の私の人生を大きく変えていく。 「道具がない、グラウンドがない、お金がない。そんなことは問題じゃない。最大の問題は、自分の後、野球を教えに来て
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