「成田屋!」という威勢の良い掛け声、沸き起こる喝采。歌舞伎の屋号、その始まりともいわれる名跡「市川團十郎」の屋号であります。 初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺に近い下総国埴生郡幡谷村に住んでいて、新勝寺とは少なからず縁があったといいます。 子宝に恵まれなかった初代市川團十郎が、父由縁の成田山に参籠して、世継ぎ誕生を不動明王に祈願をしたところ、見事その翌年、元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かります。 二代目はすくすくと健やかに成長したので、初代團十郎はこれに感謝して、元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演します。 当時、正義の若武者が豪快に立ち回る「荒事」は江戸庶民の絶大な人気を博し、荒事の創始者初代市川團十郎の文字通り千両役者の活躍によって、見事大当の演目となり、舞台には銭10貫もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋!」という掛け声が掛かったといい