佐藤議員の発言にあった「あえて巻き込まれる形での駆けつけ警護」という考えは、やはりどうしても認めることはできないと思います。僕はあえて「盧溝橋」とか「関東軍」とかと比べるつもりはありませんが(連想する人がいるのは当然だと思いますが)、集団的自衛権が容認されぬまま派遣された以上、どれほどそれが「普通に考えて」当然の行動と思えても、自国の民意をないがしろにするような「覚悟」をしてもらっては困るのです。 そりゃあ目の前で味方が攻撃されたら助けたくなるでしょう。それが人情ってもんです。でも人情だけで間違いが起きないんだったら、法律なんて何のためにあるんですか?実力集団が間違いを犯せば、その帰結は極めて重大なものになります。自衛隊の活動が正当なものであるためには、どこまでも原則に忠実であることが必要なはずです。その原則とは、民主主義であり、文民統制です。海外での武力による「国際貢献」に積極的な立場を
安倍首相は、自身の内閣での憲法改正ということを以前から言ってましたね。この夏の参院選では、年金が最も話題を呼んでいますが、国民投票法が強行採決によって成立したこともありますし、憲法についても念頭に置きながら投票先を考えています。 自衛隊を憲法の中に位置付け、集団的自衛権を行使できるようにする、という9条の改正がやはり一番大きな論点だというのは、賛成・反対問わず多くの人が同意されることと思います。日本にも諸外国と同じように軍隊を置いて国民の生命や財産を守るべきだ、国際的な紛争解決のために日本も武力による貢献をするべきだ、というのが賛成する人々の考えのようです。 9条の変更に賛成する人々は往々にして、反対派に向かって「理想も結構だが現実を考えるべきだ」というようなことを言います。しかし僕には、むしろ賛成派の人々の言うことのほうが抽象的で現実離れしているように思えます。軍事力を正当化し、集団的自
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