聴こえてくる音はどれも砂粒化してきた。クラウス・シュルチェは既に一粒の砂であり、タンジェリン・ドリームも既に一粒の砂の内部での時間である。レコードを聴く時は大体がヘッドホーンになってしまった。安いセットの、それでも、ボリューム8ぐらいで聴いていられるようになった。それで聴くロバート・ワイアットの<ロック・ボトム>は、すごくかぼそく弱々しく、今にも絶え入りそうで、握りしめられた掌からこぼれ落ちてきた砂のように孤独だ。 夜のひろがりを視線の道筋どおりに追っていくと夜はどんどんせばまってくる。夜はせまい。夜のその表面に、風も通り過ぎる事の出来ない一点がある。夜は砂粒だ。 ホーク・ウインドは夜を街角の<広場>として誤解したのだし、ルー・リードは夜を古ぼけた<椅子>あるいは痛んだ<ベッド>と思い込んだのである。彼らの思い込みもまた彼らが、時代の一番深みを生きたがゆえの痛みであり、そういう意味では大い