タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

哲学に関するedoruneのブックマーク (2)

  • 渡辺京二「近代の呪い」(5)第4話「近代のふたつの呪い」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    通常、近代がわれわれにもたらしたものは、人権・平等・自由の3つに要約されると考えられている。これについて、渡辺氏は「ある意味では」それに賛成すると述べる。ではあるが、それは「かなり疑わしく」「問題をはらんだ」贈り物であるともいう。 1)人権:江戸時代においても、百姓は百姓なりに、町人は町人なりに法の保護のもとにあった。公事(裁判所に出訴すること)や一揆は彼らの権利であった。なにかについて訴えをおこし、一揆をおこしたのである。かれらは現在のわれわれと同じように「自己の権利の主張」をおこなった。 飢饉がおこれば、幕府も藩も一定の対応はとった。飢饉がおきることを阻止できなったのは当時の社会構造では止むをえないことであった。当時においても「人権」はあったのだが、それがわれわれがなじんでいる近代的な人権概念とは一致しないということであり、その当時には人権はなかったと思ってはいけない。 2)自由:中世

    渡辺京二「近代の呪い」(5)第4話「近代のふたつの呪い」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • スマートフォンと哲学が出会うとき ソーシャルメディア時代の基礎情報学(3)―人間機械論とオートポイエーシス

    東京大学大学院情報学環教授 西垣 通 機械はどこまで生命体に近づけるのだろうか。生命体と機械の違いを「心」の有無にあると考えてみよう。では、心はどこから生まれるのだろうか。常識では心は脳の働きによって生じると考えられている。一方、脳科学の研究が進むほどに、脳と電子機械のあいだに質的な違いがないことが明らかになる。心と脳には関わりがあることは確からしいが、脳イコール心というわけではなさそうだ。ではいったい、私たちの生命体らしさはどこにあるのだろうか。 生命体と機械はどう違うか 人間のような機械を創ることは、エンジニアにとって永遠に見果てぬ夢である。先日、外見が不気味なほど人間に似ている大阪大学の実験ロボットが評判になった。だがこれは顔の表情など外見を実在の人物から写しとったリモート制御の人形で、中身は空っぽである。当の夢実現からはほど遠い。 求められるのは外見の類似ではなく、人間の「心」

    スマートフォンと哲学が出会うとき ソーシャルメディア時代の基礎情報学(3)―人間機械論とオートポイエーシス
  • 1