『東北学』の提唱者が緊急寄稿 見届けること、記憶すること、記録に留めること。 フクシマから世界史そのものを変容させよう。 * * * そのとき、わたしは東京の自宅に近い国分寺にいた。駅ビルの三階の喫茶室で、産経新聞の記者Sさんから岡本太郎についての取材を受けていた。大きく揺れた。店内はいくらか騒然となった。コーヒーがテーブルにこぼれた。やがて、緊急の放送が入り、駅ビルから出るように促された。誘導されて、ほかの客たちといっしょに非常階段を降りていった。駅前には、静かな群衆がいて、ひそひそと言葉を交わし、黙って空を仰いでいた。そのとき、わたしはふっと、どこか遠くの町でSF映画のような、あるいは見たことのない悪夢のような光景が、すでに始まっているのかもしれない、と思った。わたしはそれを口にして、あわてて心のなかで打ち消した。 余震らしき揺れがくりかえしやって来た。携帯は通じない。携帯メ
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