私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 食べたいと思ったら食べたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつが食べたいと思えば、あんみつは今すぐ作って食べなくてはいけないものになる。食いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…
東京神宮前のギャラリーSAOH & TOMOSで大矢雅章展「constellation」が開かれている(8月31日まで)。大矢は1972年神奈川県生まれ、1998年に多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了している。深沢幸雄・森野眞弓・渡辺達正氏より銅版画を学ぶと略歴にある。その後文化庁新進芸術家インターンシップ研修員制度により加納光於氏に師事。また文化庁海外留学制度でパリに滞在した。 1996年に同和火災ギャラリーで初個展、ついで1998年に大手町画廊、1999年にすどう美術館で個展と続く。以来養清堂画廊などで何度も個展を開いている。銅版画が主体で発表しているが、ときにオブジェも制作している。 上の作品の一部 大矢雅章は初個展から漆黒の黒が美しく、それが極めて高く評価されてきた。今回も漆黒の作品が展示されているが、白い作品があって驚いた。「黒」の大矢の印象が強かったが、「白」の大矢も素
本物の博打を見たのは大昔山谷へ行った時だった。今はこの地名はなく、台東区と荒川区にまたがった地域で泪橋交差点を中心にしたあたりだ。昔はいわゆるドヤ街だった。一度だけそこへ仕事をしに行った。職安(ハローワーク)があって、そこの建物の中で手配師が仕事を探している者に声をかけてきた。そうやって24時間の仕事をやったのだけれど、この24時間の仕事っていうのが、何と8時間の仕事を連続して3つやるという強烈なものだった。最初の仕事が、溶鉱炉みたいなところに一輪車でくず鉄を運んで投げ込む仕事だった。溶鉱炉の口が熱くて、くず鉄を一輪車からぶちまけると火の粉が立って怖かった。2番目の仕事は忘れてしまったけれど、工場の仕事だったと思う。最初とは全く別の工場だ。間に少し休みがあっただろうけど、すぐ次の仕事に移っていった。3番目の仕事が玉掛けだった。工場の中に細くて長い鉄棒が積み上げてあって、それをワイヤーで何本
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