哲学における「アクセス」 いかなる必然性にも確率にも従わず、先行する状態にまったく含まれていない状態を創発させることができる時間。そのような時間を考えるとき、現在は未来をはらんでいるわけではなく、過去の経験から未来を予測することもできない。それは人間にとって厳しい現実となるかもしれないと同時に、わたしたちの未来が、充足理由律から解き放たれることを意味している。浅野紀予「思弁的世界とコミュニケーション」 去年の春に書いた「思弁的世界とコミュニケーション」という記事を、わたしは当初、「詩と経験と因果律」と題していました。記事のなかに「因果」の二文字は出てきませんが、そこで試みたのは、あらゆるものごとに必然的な因果関係があるとする「充足理由律」を疑ってみることでした。 わたしたちは、何かが起きるとその原因を知りたくなりますし、それを次の結果に結びつけようとするものです。つまり、悪い結果が起きた場
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