タグ

表現と人に関するenemyoffreedomのブックマーク (3)

  • 被害者は私だという全ての人たちへ : 404 Blog Not Found

    2010年03月20日21:00 カテゴリ書評/画評/品評Code 被害者は私だという全ての人たちへ あなたを慰めるつもりは、微塵もない。 被害者はいないという大きな男の人たちへ - はてこはだいたい家にいる被害者はいないという大きな男の人たちへ - はてこはだいたい家にいる どうかお願い、聞こえるところでそんな話をしないでね。 「なぜ嫌がるんだ、芝居だよ? 誰も君を傷つける気はないさ」 っていうのはね、あんまり慰めにならないよ。当に襲われたたくさんの人とそっくりの場面があちこちに織り込まれたお芝居を、舌なめずりして見てるのを、安心して見ているのは難しいの。 なぜなら、あなたには慰められる資格がないからだ。 私にもない。読者にもない。そんな資格をもった人はおそらくどこにもいない。 我々は暴力の被害者ことを恐れるのと同時に、暴力の加害者となることが大好きなのだ。 被害者はいないという大きな

    被害者は私だという全ての人たちへ : 404 Blog Not Found
  • 五十嵐一 - Wikipedia

    五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、日の中東・イスラーム学者。井筒俊彦の弟子。比較文学の学者である五十嵐雅子は。長男の五十嵐中も大学教授である。十数の言語の読み書きが出来、イスラム思想、数学や医学、ギリシア哲学などを研究していた[1]。 新潟県新潟市出身。新潟大学教育学部附属新潟小学校、新潟県立新潟高等学校を経て、1970年(昭和45年)に東京大学理学部数学科を卒業した。理数系から人文系に転身し、1976年(昭和51年)に同大学院美学芸術学博士課程を修了した。同年からイランに留学し、イラン革命が起こった1979年(昭和54年)までイラン王立哲学アカデミー研究員を務めた。1986年より死去まで助教授として筑波大学に勤務した。 1990年(平成2年)にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を邦訳した。日語への翻訳を計

  • 製作者の行動が作品の面白さを毀損することはある - 見ろ!Zがゴミのようだ!

    俺は吉ばななの作品についてはエッセイを少し読んだ程度なんで、そこはさっ引いて下さい。 lakehill on Twitter: "ばなな居酒屋騒動で「吉ばななは読者を失った」とか書いている奴がいたけど、小説の面白さと作家の人間性は関係ないわけだから、小説家の人格がクソだから、読むのをやめるという発想がわからない。ぶっちゃけ、作品が良ければ人間性なんてどうでもいいだろう?" はてなブックマーク - lakehill on Twitter: "ばなな居酒屋騒動で「吉ばななは読者を失った」とか書いている奴がいたけど、小説の面白さと作家の人間性は関係ないわけだから、小説家の人格がクソだから、読むのをやめるという発想がわからない。ぶっちゃけ、作品が良ければ人間性なんてどうでもいいだろう?" ここらへんの発言を見て少しもにょったので。 作者の行動の浅さが露見する事が、ファンにとって作品の面白さを

    製作者の行動が作品の面白さを毀損することはある - 見ろ!Zがゴミのようだ!
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2009/08/19
    芝村の痛い言動は意図的にスルー・忘却してたなぁ。富野とか昔の庵野とかの発言も(旧劇エヴァは劇中の表現すら)「そういう人だからしょうがない」と別物として消費するように自己調教されたオタクなので
  • 1