「予言ダコ」のパウル君が死んだことを受け、前アルゼンチン代表監督のディエゴ・マラドーナ氏が喜びの“つぶやき”をした。ツイッター上で「おれはお前が死んでうれしいよ、予想ダコ。我々がW杯で負けたのはお前のせいだからな」と書き込んだ。マラドーナ氏は母国を率いてW杯を戦ったが、準々決勝でドイツに0-4の敗戦。試合前にパウル君がドイツ勝利を予想した。 [2010年10月27日9時44分 紙面から]
週明け発売の『中央公論』6月号に筑摩書房の松田哲夫による井上ひさしの追悼文が載っているが、これを読んで井上の傲慢ぶりにまったく呆れた。 1973年、筑摩の雑誌『終末から』に『吉里吉里人』の連載が始まったが、第一回目はぎりぎり、二回目は締め切りになってもできず、松田が催促の電話をして、こもごも話すうちに「困りましたねえ」と言ったら、井上が激怒して、「困るのは作家のほうだ。編集者は困っても周囲が助けてくれるがこっちは一人だ」(大意)と怒鳴り、松田が翌日もう一人の編集者と詫びに行ったら「いやこちらも言葉が過ぎました」と言ったというのだが、 まさにこれが本当の逆ギレ。 井上はその前年に直木賞をとったばかりだが、いったい自分を何さまだと思っているのだろう。「てっぺん野郎」は石原慎太郎ではなくて井上のほうではないのか。 いくら直木賞をとったって、平直木賞作家なら、そんなことを繰り返していれば干されてし
昨日の日記に関して「サリンジャーが亡くなった日にあんな記事を書かないでほしかった」などのご意見をもらいましたので、 なぜ、書いたのか説明します。 唐沢俊一は誰か有名人が亡くなると必ずその追悼文をブログに発表します。 本当にもう、誰かが亡くなると必ず書くので、後に単行本化する、もしくは追悼文作家として売り込もうとしているのかもしれません。 しかし、その内容がどれもひどい。 その故人の生前の仕事をろくに知らないのに、なぜか必ず皮肉な口調で冷笑するというパターンを取っています。 今回も、偉大なサリンジャーについて、唐沢がまたデタラメなことを書くかと思うと我慢できなかったので、 唐沢が書く前に「お前、読んでないだろ」と釘を刺しておいたのです。 たとえば、加藤和彦さんが亡くなった翌日に唐沢はブログに以下の文章を書いています。 http://www.tobunken.com/diary/diary20
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