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雑言に関するestnacsのブックマーク (2)

  • スターもコメントも降り立たぬ荒野に - 無気力式電波中継所・跡地

    今回取り上げた、長谷川氏のブログの件を見て思うことがある。 今、自分が書いているこの日記は人々にどのような気持ちで読まれ、人々をどのような気持ちにさせているのだろうか…………ということ。 それらの閲覧者が抱いた感情を最もよく表しているのがコメント*1だと筆者は考える。 もちろん、筆者はひねくれた人間なのでネットに溢れるコメントが肯定的なコメントばかりだとは微塵も思っていない。それどころかこんな『アルファブロガーでもなければ有名人でもない人間によって綴られた日記』にコメントなど滅多に来る筈はないと思っている。 それでもコメントで批判や中傷を受けるのが怖い。自分の仲間が、自分の好きなものが、そして自分が。 もしこの日記が閉鎖するときがあるとすれば、筆者が不慮の事故等で逝った時、または筆者がこんな日記を書くことに飽きた時、そして筆者が彼女(長谷川氏)のような目にあった時のいずれかだろう。 筆者は

    スターもコメントも降り立たぬ荒野に - 無気力式電波中継所・跡地
    estnacs
    estnacs 2008/02/25
    セルフブクマ
  • 総計8ページの伝言 - 無気力式電波中継所・跡地

    らき☆すたという物語について、少し思うところがある。 らき☆すたという作品は多少リアルを逸脱しておりながらもそれでいてリアルの範疇にかろうじて収まっている作品である。 それは今までも、恐らくこれからも続くこの漫画のスタイル。筆者はそう思っていた。 だがしかし。 その「最低限のリアル」からかけ離れたお話が、らき☆すたの原作に「一つだけ」存在する。 ――――「ここにある彼方」。 この話では故人である泉かなたを霊として登場させ、その彼女の視点で見た物語を描いている。 来であれば感動ものの話として受け止められるべきエピソードなのだが、筆者はここで少し疑問を感じた。 今までは、作品中に外見・設定的にファンタジックな人間がいようとも、ファンタジー的な現象はいっさい起こりえなかった。 だが、ここでは「故人の霊」という「ファンタジーやメルヘン」的な存在が出現しているのだ。 あくまで番外編的ストーリーだと

    総計8ページの伝言 - 無気力式電波中継所・跡地
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    estnacs 2008/02/25
    セルフブクマ
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