海辺の墓地にて ― 木下素夫追悼 ― 長谷川 興蔵 四十五年前の記憶はまことに茫茫としている。細部はあるいは磨滅し、ときには前後して、もどかしいほどにとりとめがない。しかし、いくつかの場面だけは、奇妙なくらい鮮明によみがえってくるのである。わたしが木下素夫を知ったのは旧制一高の二年の新学期、一九四三年の四月で、その夏に帰省中の彼を的矢村にたずねて数日逗留したのが、たしか七月のことであった。以後、彼の死に至るまで交わりはつづき、学生運動の時期にはほとんど毎日のように顔をあわせていたし、晩年にも少なくとも年に一、二度は酒盃を手に語りあうことを欠かさなかった。しかし、今でも暮夜ひとり酒をくみながら木下のことを憶うとき、よみがえってくるのは、そのような後年の記憶よりも、半世紀近くもむかしの面影なのである。―そのときわたしたちはともに二十歳前であった。 昨年(一九八七年)の十一月に、わたしは木下の新