■ ダイナミックに変貌を遂げる天神北 天神北の中心には南北に走る親富孝通りがあり、名称の由来は1970年代にまで遡る。当時、北部に地元の予備校があり、そこに通う予備校生=「親不孝者」が多くこの通りを通っていたことから当初は親不孝通りと呼ばれていた。しかし、親不孝通りという名称はイメージが悪く犯罪誘発の一因となっているという声が上がり、「天神よろず町通り」に改名されたが浸透しなかったため、「親不孝」の「不」の字を「富」に置き換えたのが親富孝通りと呼ばれたはじまり。 当初の親富孝通りは予備校生を対象とした喫茶店やゲームセンターなどが立ち並んでいた。次第に若者の集まる通りとして居酒屋やバー、カラオケボックスなどが集積するようになり、夜の街へと変貌して行く。バブル期には九州最大級のディスコ「マリアクラブ」が開店し、若者の街として全国で知られるようになった。 しかし、西鉄天神駅の南進やイムズ、ソラリ