奴隷王朝の初代クトゥブッディーン・アイバクは、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマド(ムハンマド・ゴーリー)に仕えて北インドの征服事業を委ねられたマムルークの将軍であった[2]。1206年のムハンマドの死後、ゴール朝が後継者争いから解体に向かったときに任地のデリーで自立したアイバクによってゴール朝の北インド領を支配する政権として打ち立てられたのが奴隷王朝である[2]。 アイバクは一代でデリーを中心に北インドに版図を広げ、首都デリーの建設を進めたが、1210年にポロ競技のさなかに死去した[3][4]。 アイバクの死後、その子のアーラーム・シャーが即位したが、父のマムルークたちを統御する力がなかったために、マムルークの最有力者でアイバクの娘婿であったシャムスッディーン・イルトゥトゥミシュが即位する[4][5][3]。 イルトゥトゥミシュは自身の同輩であるアイバクのマムルーク将軍たちを一掃して