1910年頃の日本の造船技術をけん引し、日本が世界水準の国産戦艦を建造運用する為に努力した功績はけしてそのような貶められるようなものではないと思います。国内に木工と天然繊維くらいしか産業のない国家が数万tクラスの戦艦を自力建造するというのは大変なことです。なにせ前例のないサイズの船ですから運動性や実際の運用のためにどのような装備が必要なのか。そして初めて各部を製造する日本企業はその難関を越えて行けるのか。そういった未熟な工員・設備であれだけの戦艦群を完成させたことは評価に値するでしょう。 ただし、急速な国家の工業水準の発展を高齢になっても正確に把握できていたかどうかは疑問があるのも確かです。彼が電気溶接を信用しなかったのは実際に自分が手がけた時代に電気溶接の技術が欧米の水準に到達していなかったからであり、実際には1930年代後半には国内の溶接技術もようやく列強に追いついてきていたとは言え、