父・芳亭は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた人物。その関係で、京都と東京を行き来して育つ[1]。京都市生まれで、生後まもなく東京市浅草区に移った[1]。蒲田小学校から暁星小学校、暁星中学を経て[2]慶應義塾大学文学部芸術学科卒業[3]。大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。 1946年に復員。黒澤明作品の『醜聞』『白痴』では助監督を務め、黒澤からは「日本一の助監督」と評価された。1952年の『鳩』で監督デビュー。初期は会社の意向に従って喜劇から時代劇まであらゆるジャンルの作品を手掛ける職人監督に徹していた。 野村の名を広めたのは1958年の『張込み』(主演は大木実)。以降ショッキングな描写を伴う社会派的色彩の強いサスペンスを数多く撮るようになり、名作を世に送り出した[4]。1974年に監督した松本清張原作の『砂の器』ではモスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受