少年時代を上海共同租界で過ごすが、第二次世界大戦開戦後、一家は日本軍の捕虜収容所(龍華収容所)に収容された。[1](このときの体験は後に小説『太陽の帝国』としてまとめられることとなる。ただし、小説では家族と分かれて収容所で暮らしたとなっているが、実際は家族と一緒に収容されていた[2]。) 1946年、単身でイギリスに帰還し、祖父母の家に住んだ(父母はしばらく上海に残り、国共内戦中の1949年に中国共産党軍の侵攻により裁判にかけられたが、逃れてイギリスに帰国)。バラードは帰国直後、「話と本でしか知らなかった」、初めて体験する「母国」イギリスに、非常なカルチャーショックを感じたと語っている。 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジで医学を学ぶが、途中でロンドン大学クイーン・メアリー・カレッジに移り文学を専攻。[3]そこも中退後、広告代理店のコピーライターや百科事典販売業に従事。のちイギリス空軍に入