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原発に関するfelt87のブックマーク (2)

  • 「豊かな日本」の終わり

    原さんの記事を読んで、同じ時期に原発の取材をしていた者として、共感するところと違うなと思うところがあります。 1980年代には、石油危機のあと「脱・石油」の旗印のもと、原発が推進されました。民放のローカルニュースにはたいてい電力会社がスポンサーになっていたため、反原発の番組はほとんどなく、新聞も同じでした。特に朝日新聞は、科学部の木村繁部長と大熊由紀子記者が激しい原発推進キャンペーンを繰り広げていました。社会部の記者はみんな反対派でしたが。 そんな中でスポンサーのないNHKは、反原発のリーダー的存在で、私も伊方原発訴訟の一審と二審を取材して、国と反対派の討論番組をつくりました。当時は、原発をテレビで取り上げること自体がタブーで、四国電力の社長が記者会見で「NHKの番組は偏向している」と名指しで批判したこともあります。 当時も今も、原発の問題点は変わりません。原さんもいうように、軽水炉の技術

    「豊かな日本」の終わり
    felt87
    felt87 2011/03/30
    安い電力を手に入れたいが無理なのかな
  • 原発なんていらない

    私は大学で原子力工学を専攻した。だが卒業後は新聞記者になった。新聞社は私を原発記者にしたかったのだろう。最初の配属先は福井だった。若狭湾沿岸に原発が建ち始めた時代だった。 なぜ原子力を放棄したのか。よく聞かれた。信頼できない技術だからだ。いつもそう答えていた。信用できない理由はいくつもあった。放射性廃棄物を責任を持って管理できるのか。放射線から人間を守るのは容易ではない。いったん原子力事故が起きたら回復不可能な損害が出る。たくさん理由があった。大学で学んでそう結論づけていた。原発推進に協力する気はなかった。 支局時代は最低限の原発記事しか書かなかった。「大阪万博に原子の火」なんて書けるわけがない。当然、上司の受けはよくなかった。大阪に転勤する時、申し訳に「若狭湾は原発墓場になる」という記事を書き置きして転勤した。後で聞いた。福井でその記事が話題になったそうだ。だれが書いたのかと。 その後経

    原発なんていらない
    felt87
    felt87 2011/03/30
    「原発を止めれば停電確実な社会になってしまった。」今実際に停電が起きている。原発に依存していたから。これからどんな電源に依存すればよいのかを考えるべき時なのだろう。依存すべきかも含めて。
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