居候生活はじまる ときは、2006年7月4日。場所は、溜池山王の交差点近くのランディック第三赤坂ビル。 1階ではマクドナルドが24時間眠ることなく、小腹を空かせた企業戦士たちに、ハンバーガーとフライとコーラと、つかの間の安らぎを提供している。このビルの8階にある投資ファンド『あすかDBJパートナーズ』のオフィスにて、僕らの挑戦は始まった。わずか6席の小さなオフィスに、3社が同居していた。我々は、居候(いそうろう)である。 このときはまだ、「ネットライフ企画」の原型は何もなかった。あったのは、机とパソコンと電話とファックス。中古のコピー機。あとは、社長の出口の頭の中にある事業計画だけだった。 (ライフネット社長・出口治明との出会いについては「第一回 プロローグ」をご参照) 本プロジェクトの相棒である社長の出口は、1948年生まれの58歳(当時)。後に知ることになるのだが、大手生保出身で、かつ
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