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*歴史に関するflvyのブックマーク (2)

  • 闘将ボース2年間の閃光…日印を繋ぐ巨星よ永遠なれ

    大東亜戦争で我が国が劣勢に転じる中、遥か彼方より馳せ参じた闘将がいた。大演説に激戦地…疾走し続けた2年間。C・ボース将軍こそ日印の現代史に輝く巨星だ。 インド国会での演説、日印首脳会談を終えた安倍首相は8月23日午前、デリーのパラム空軍基地から政府専用機でインド東部の中心都市カルカッタ(現コルカタ)に入った。 予てからアナウンスされていた通り、安倍首相はカルカッタでラダ・ビノート・パール博士の長男プロシャント・パール氏(81歳)と面会した。 「お目に掛かれてうれしく思います。お父様は今でも多くの日人の尊敬を集めています」 ▽P・パール氏と対面した安倍首相(代表撮影) 一部外電によれば、首相周辺からは面会が波紋を広げることを懸念し「会わずに出国を」と進言する動きもあったという。しかし結局、反対論は退けられ面会が実現する運びとなったようだ。 安倍首相はプロシャント氏に対し、故パール博士の業績

    闘将ボース2年間の閃光…日印を繋ぐ巨星よ永遠なれ
  • マレーの虎ハリマオ・谷豊の壮絶生涯(後編)

    妹をシナ人に惨殺された谷豊はマレー北部で大盗賊の頭目になっていた。開戦前、マレー人の協力を求める帝国陸軍は谷豊に注目し、神利男が説得に成功。軍の密命を帯びた谷豊の大活躍が始まった。 注:以下のエントリの後編にあたります マレーの虎ハリマオ・谷豊の壮絶生涯(前編)また 「その名は『F機関』…大東亜戦争の英雄・藤原岩市」の外伝にも相当 後編: 【敵要塞とマタドール計画】 これまでの戦史では、軍の秘密指令を受けた谷豊の一党は、失敗続きで、帝国陸軍のハリマオ工作は不発に終わったとされていた。 しかし『神利男とマレーのハリマオ』で初めて明かされた谷豊の行動は、まったく違うものだ。 谷豊の配下には盗賊くずれのマレー人しかいなかったと見られていた。 ハリマオ一党は数百人規模で、「配下3,000人の大盗賊」は噂に過ぎなかったが、 実際はメンバー各自が様々な特殊技術を持つ集団であった。例えばザカリアとい

    マレーの虎ハリマオ・谷豊の壮絶生涯(後編)
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