嵐の始まり 第2次世界大戦終了後、アメリカが自由主義の盟主へと名乗りをあげる一方、ソ連の影響下にあった東欧諸国を中心に共産党政権が次々に誕生し、世界は2大勢力による東西冷戦の時代に入った。するとアメリカの支配層に共産主義の脅威を声高に煽り立てる人々が現れ、その主張は次第にヒステリックなものとなっていく。 そんな状況下にあった1947年10月20日、アメリカ下院非米活動委員会(HUAC)はワシントンで、「映画界における共産主義の浸透」を調査する第1回聴聞会を開いた。リベラル派の多いハリウッドが、”赤狩り(Red Scare)”の標的となってしまったのだ。 HUACは事前調査でハリウッドの映画人のうち共産党員と目される人たちをリストアップし、その罪状を証言する証人を用意して、彼らへの喚問を行なう。 しかしこれに対するハリウッド側の対応も素早く、開催の1ヶ月前、監督のウイリアム・ワイラーとジョン