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http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081126/1227713875を読んで 自己責任は万能 逃げるような男の子供を産むことに責任がある のであれば、母子家庭に対する支援策はいっさい不要にゃんね。 同じ理路で、典型的な通り魔犯罪以外の犯罪被害者を救済する必要もにゃーな。犯罪をするような輩とつきあっていたのがワリイ。それどころか、交通事故も当然予見されるのに道路に出たほうが悪く、交通事故被害者の救済も必要ナシ。 b:id:metalbabbleというのは、ネット右翼というよりも、思考力と恥の感覚が不自由なヒトなんでにゃーのかな? 呪術としての自己責任 まあ、この手の「被害者にも責任がある」という発想でまず連想するのは、某仏教系教団の集会へ出た時の思い出ですにゃ。 僕が高校1年のとき、弟が某学会員の市会議員の店で万引きをし、警察沙汰を勘弁してもらったので僕が集会にで
米国に端を発した金融危機、日々口にするような食べ物の汚染発覚など、いまや「不安」が常態となっている。 不安な時代が叫ばれるほど、その裏返しに「こうすれば確実に成功を得られますよ」といった、生き方やノウハウの話がもてはやされる。思えば、家庭や学校で教えられた「自分の頭で考え、決断できる人になりましょう」といったこともノウハウの1つでしかなかった。 ある程度の年齢を重ねれば、そんな法則が当てはまらない多くの例外を目にするが、むしろ例外の方が主流なのではと思えてくる。 世の中、思いどおりに行くことのほうが珍しい。努力して成功したが、健康を害した。財産を失ったが、愛する人と巡り会えた……。手に入れるとは失うことであり、その逆も真だと思えることが多い。すべてが偶然ならば、自分の意志で成し遂げられることは、そう多くはないのではないか。 そもそも人は、いつ死ぬかは分からない。だが、“老い”や“病”を得て
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