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派遣村に関するfujii_isanaのブックマーク (7)

  • 差別や偏見を意図して作り出す人たち - Arisanのノート

    すでにご存知の方が多いと思うが、東京の公設派遣村に関するマスコミ報道の、調査不足による不正確さが、問題になっている。 「200人無断外泊」などという報道がなされているが、それは朝べた人と夕べた人との差ということで、そのなかの多くの人は、都内でアパートを探していたために夕に間に合わなかっただけであるという。 それが、「無断外泊」として報じられているのだ。 支援団体は、都に対して、正確な数字を公表するように要請しているが、報道発表どころか、厚労省にすら数字の提供を拒否しているとのこと。 都がそうした態度をとる一方で、「入所者のモラルを問題にする」と称する、石原知事のこのような発言がなされているのだ。 http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100108/wlf1001082255002-n1.htm こうしたマスコミの「調査不足」の報道の背景に

    差別や偏見を意図して作り出す人たち - Arisanのノート
  • 『派遣村が問いかけているもの - 「溜め」が奪われている「貧困」は自己責任を問う前提を欠いている』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 このブログの一昨日のエントリー「派遣村バッシングの死角 - 自分とは違う「溜め」のない人へダイレクトに突き刺さる痛みが見えない」 に、1日だけで6,714のアクセスがありました。内容についても様々な意見が他のサイトで飛びかっていて、とくに「溜め」という概念に関わっての意見が多いので、引き続き、湯浅誠さんが『「生きづらさ」の臨界~“溜め”のある社会へ』(旬報社。河添誠さんとの編著)の中で、「溜め」について別の観点で語っている部分を、いつものサマリーで紹介します。 自己責任論は自由な選択可能性を前提にしています。お金のある人は事に際して、「トンカツもエビフライも」自己責任で選ぶことができます。しかし、お金のない人には、「コンビニのおにぎりか、マックのハンバーガーか」というよ

  • Umikaze Blog

  • 政治に関心の薄い層に残る自己責任狂 - Munchener Brucke

    今回の派遣村バッシングの特徴は、普段政治的な話題を取り上げない普通のブロガーやMixiで普段他愛のない日記を書いている人が、かなり辛辣に弱者に厳しいことを書いていることです。その意味で、ネット右翼や媚権派が騒ぐような事件とは少し様相が違うと感じました。 そして比較的政治的な関心が薄い人の間で、政治ブロガーの間では支持を失いつつある「自己責任狂」が根強く信奉されているという事実を知らしめられました。 ただこれは政治的関心の薄い人たちの間で、一昔前の価値観が残っているという訳でもない気がします。政治的関心の薄い人は、日社会がどうあるべきで、そのために政治はどうすべきかとい発想をしません。現実社会で起きていることは運命と達観し、その中で自分は何をすべきかという発想をします。 政治への関心が薄く、現実社会を不可避なものと達観している人は、人は政治性を否定するでしょうが、受動的な保守主義者と言え

    政治に関心の薄い層に残る自己責任狂 - Munchener Brucke
  • 派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」

    「自分はなんのために生きているのか?」 いやまぁ、「そんな哲学で腹はふくらまねーよ」と仰りたい気持ちは重々承知ですが、ちゃんと説明しますよ。ふたたび、こちらのエントリからコピらせていただきますね。 すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を 雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている。 小森 メンヘラー(心を病み、壊れることによってやっと生きのびる人※雨宮さんによる定義)の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低

    派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」
  • 派遣村への誤解や無知の頻出と、その背景(1) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    今日は派遣村の撤収日。 日比谷派遣村についてブログやミクシイの日記を検索すると、批判的な発言が頻出している。 しかし、それらの批判の中には、誤解や無知に基づくものが少なくない。 具体的にどういう誤解や無知が存在しているのか、その背景を含めて検証を試みたい。 最初に具体的な発言例を紹介する。 「スケジュール」に関する誤解。 以下のような意見を目にした(リンクは貼らないでおく) これが、ほんとなら… レクリエーション?してる場合じゃないでしょう。。 スケジュール 1 / 2予定 9:00朝 10:00お風呂・床屋 12:00昼 13:00レクリエーション 15:00夕準備 17:30夕 19:00交流タイム 21:00映画観賞 個別での、これからの生活支援カウンセリングとか現状からの短期的目標の確率とか、、 (ちなみにカウンセリングは、特別な資格がいらないので、自称カウンセラーもいます

    派遣村への誤解や無知の頻出と、その背景(1) - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • 年越し派遣村はピクニックである - NOW HERE

    年越し派遣村へ続々、300人突破 厚労省が講堂開放へ http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY200901020056.html すげーことになってきたな、おい。 300人集まれば厚労省が動くんだね。大方、大村秀章厚生労働副大臣が後先考えないでしたことなんだろうけど。 この派遣村ってのもすごい。失職して行き場がなくなった失業者が集まってきてる。日比谷公園に50張もテント張ってるってのがすごい。あの辺って官僚と金持ちの集うあたりだろ? 記事の写真を見る限りは壮観だね。実際行ってみたら広い日比谷公園の片隅なんだろうけど。 5日の御用始には退去、って出来るわけねーじゃん。これからますます人数は増えるわけだし、退去したらしたで日比谷公園はえらいことになるんじゃないの?あの広い公園一面のテント村になるよ。 これはピクニックだと確信した。 鉄壁と思われ

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