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思想に関するfujikumoのブックマーク (64)

  • ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作

    教育法の改正について、様々な批判がなされている。それらの批判の多くは、やや乱暴に言ってしまえば、「愛国心や伝統といった恣意的な価値観を教育の主眼とすることは、民主制度の社会が多様な価値観によって担保されている事実から考えるならば、首肯することはできない」という、ごくごく当り前の前提に立っている。 ところで現在、成立が間近、もしくは今後審議入りする可能性があり、且つ、社会に対して重大な影響を与える可能性の高い法案は、教育法の改正だけにとどまらない。そして、それらの法案は、たとえば障害者自立支援法に代表されるように、それらを不正であると感じる人々が声の限りに抗議をおこなったとしても、そのような抗議は無いかのように(今国会では成立しなかったとしても、いずれは)成立する、現況はそのような流れにあると言ってもおそらく間違いではない*1。そしてそのような状況にある以上、なぜ、そういった抗議が(

    ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作
    fujikumo
    fujikumo 2006/04/23
    <若者たちがこういった「自己責任」言説に流れてしまうのも、パブリックな空間と自身とを切り離したことによる、当然の帰結だとも言える。つまり、個人の力の及ぶ範囲は自身の生活空間に限定されると見做されている>
  • なぜ働くか

    働かないとえないとなんとなく思っている人もいるだろうし私もそう思っていたし、ま、今でもそう思ってないわけでもないが、実際にえないというレベルは多層的で、ようするにそれは人間観の問題という感じがする。絶対的な貧困が日にはないとはいわないが、それよりも人間観の問題に吸着する。ぶっちゃけていえば、腹をくくれば、働かなくてもえる。 日経春秋子が”親たちと異なり「郊外・庭付き一戸建ての購入」のような自明な答えはない”と言うが、このあたりは微妙だ。現在のパラサイやいわゆるニートも実際にはこの基盤の上に成り立っている。日経オヤジと事実上の共犯の関係にある。ということは、あと10年もすればこの層が激変するのだ。頭の中ではその変化がわかっていても、その世界の光景には今は耐えられない。少しずつ慣れるのだろう。 なぜ働くかという問いは、現実的にはむなしい。働く人間はただ働くように自分を陶冶しただけのこと

    なぜ働くか
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • インタラクティヴ読書ノート・別館

    (更新は月2回以上……を目指しています。) こちらはインタラクティヴ読書ノートの別館です。伝言版形式の館に対して、こちらはすべて稲葉振一郎が作成しており、文責も当然稲葉振一郎個人が全面的に負っています。 読者のみなさんからの情報提供は、インタラク ティヴ読書ノート・館で受け付けています。どしどし書き込んで下さい! 注記(2004年11月11日) インタラクティヴ読書ノート・別館の別館を設けました。 *過去のノート一覧 *の検索サイト NACSIS-WEBCAT Library of Congress Home Page COPAC(イギリス主要図書館案内) TRC(図書館流通センター)ホーム ページ インター ネット古書店案内 日の古amazon.com Amazon.co.jp bk-1 2006年2月 2月10日 特別編だよ。 真剣中年しゃべり場 *第1部(at「別館の別

    fujikumo
    fujikumo 2006/03/23
    <真剣中年しゃべり場>