「(高齢なので)今回が最後の講話になると思うが、他の人にバトンタッチし、輪を広げてほしい」。広島、長崎両市で二重被爆し、4日に死去した山口彊(つとむ)さんは昨年6月、長崎市での講話で若者たちにそう語った。亡くなる直前まで、二度にわたって自身を襲った核兵器の廃絶を訴え、そのために体験を次の世代へ伝えたいと願っていた。 山口さんが被爆体験を語り出したのは晩年になってからだ。被爆者団体にも所属していない。被爆の影響で左耳が不自由になったが、「自分は重い被爆をした人たちと異なり、傷も残っていないので」と考え、積極的に人前には出なかった。 だが、2005年に次男をがんで亡くすと、山口さんは「二度も被爆してなぜ生きているのか。伝えるために生かされているからだ」と、自ら答えを出した。記録映画「二重被爆」に出演し、体験を語った。以来、国内外のメディアから取材が相次ぐようになった。 核廃絶を願い、オバ