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musicとhistoryに関するgatya45のブックマーク (2)

  • エピソード - 「盛田昭夫」を語る - 盛田昭夫ライブラリー

    2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが此の世を去りました。 私と主人昭夫が、マイケルの公演を初めて観たのは、1987年横浜スタジアムの時でした。彼の音楽、そして抜群のダンスに魅せられて、私共は東京の自宅から横浜スタジアムへ、公演後はそのままウィークエンドを、別荘で過ごすべく箱根湖畔の家に向かいました。 現在のように携帯電話もなく、道路事情も悪く、夜半に別荘に着いた私のところに東京の家から電話がかかり、先程からマイケル・ジャクソンのマネージャーから度々電話がかかってきて、是非、ミスター盛田と話がしたいので、何時でもいいから電話を下さい、とのこと。私は急いで彼のホテルに電話をしました。 彼は、「今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出なかった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非

    エピソード - 「盛田昭夫」を語る - 盛田昭夫ライブラリー
  • 音楽の冗長性と王侯貴族の感性について - 仕事の日記

    コンサート会場で音を立てると説教される問題がどう推移しているのかは、全然知らないのですが、前から思っていることに関連づけると、少し書けそうな気がしてきたので、そんな話。 - 18世紀の音楽会が、歌ありコンチェルトありのごちゃまぜでダラダラ何時間も続いて、会場は出入り自由だったらしい、とか。 お城の中では、音楽家は部屋の隅に立ちっぱなしで、王侯貴族がトランプをしたり、お茶飲みながらしゃべってる脇で演奏していたらしい、とか。 そういう「音楽の社会史」の情報は、たぶんもう常識になっているんだろうと思いますが、ちょっと違う視点から、この件について考えてみたいと思います。 - 昔はヨーロッパでの音楽がノイズ混じりで聞かれていたという話に対して、「昔の音楽家は可哀想、音楽をもっと大事にしなきゃ」という感想をもってしまうと、話はそこでおしまい。「王侯貴族のような自分勝手を謹んで、音楽への尊敬の気持ちをも

    音楽の冗長性と王侯貴族の感性について - 仕事の日記
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