会津藩の砲術師範役・山本権八、佐久夫妻の子として生まれる。戊辰戦争時には断髪・男装し、会津若松城(鶴ヶ城)籠城戦で最新銃・スペンサー銃を手に奮戦したことから、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。但馬出石藩(現・兵庫県豊岡市)出身で会津藩校・日新館の教授をつとめる川崎尚之助と結婚したが、戦争前後に別れる。戦後、京都府顧問として活躍していた兄・覚馬を頼り京都に。そこで同志社大学創立者となる新島襄と運命的な出会いを果たし、結婚。女は男に従うことが当然視された時代、豪放で周囲からは勝手気ままに見える八重の生き方は世間から「天下の悪妻」と言われる。 日清戦争、日露戦争では、篤志看護婦として傷病兵の救護に奔走。そうした社会活動の功績により、昭和天皇の即位大礼の時には銀杯を下賜される。その4年後、86年の生涯を終える。(八重の旧姓は「山本」。時に、「八重子」と署名することもあった) 会津武士(上士
八重の桜 2013/06/27 八重の叫びががなり声?? 八重の兄弟に対する想いも両親の子供達への愛情もいろいろな伏線を上手く描き十分に伝わって来るストーリー仕立てだし、頼母はじめ藩士たちの会津藩を思う気持ち、内部でいろいろ葛藤もありながら藩士達が容保を中心によくまとまっている様子が伝わって来てこのドラマに人の心が描かれていないなんて感じません。頼母の母の武家の女性らしい言葉も心に響きました。むしろ緻密に心が描かれている大河と感じています。 八重の桜 2013/06/26 尚之助さまはやっぱり外の人? 権八と尚之助の出陣のとき、八重の頭は三郎の敵討ちで一杯だね。 夫が出陣するというのに尚之助のことは頭になくて目もくれない。 角場で思い出すのも山本家の面々。ずっと一緒だった尚之助は? なんか寂しいね。すごく寂しい。 こうやって別れて、城が陥落したら離ればなれになって離縁して、八重は再婚する。
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