大まかに言うとかつてのインドの宗教思想や規律がまとまったものをヴェーダと言い、そのなかでも後代にまとまった哲学的思想がウパニシャッドと呼ばれます。「梵我一如」というのはそのウパニシャッドの中の最重要な考え方ですね。 基本的には仏教はウパニシャッドを否定するなかでできたものですから、梵我一如が仏教にとり込まれたとか、仏教がそれを受け継いだ、ということはありません。 梵我一如というときの我は、アートマン(atman、発音符は除きます)の漢訳語です。このアートマンというのは、ちょうど有名なデカルトの懐疑で表れる主体のように、疑っても疑っても疑う主体として現れてどこまでもそれを否定し得ない、懐疑の一番メタレベルに存在する、唯一至上の主体として想定されました。思惟のなかではどこまでも客体として扱えない、従って言葉では常に「~ではない」という否定を重ねる仕方でしか表現できないとされます。 つまり、アー