超すんごい資料見つけた!!昭和21年から22年にアメリカ人モージャー氏によって撮影された、後藤鍬五郎作の聚楽園の大仏、弘法大師、仁王像を写したカラー写真。長浦海岸にあったタコの写真まである!!… https://t.co/ppuSKDCSjv
超すんごい資料見つけた!!昭和21年から22年にアメリカ人モージャー氏によって撮影された、後藤鍬五郎作の聚楽園の大仏、弘法大師、仁王像を写したカラー写真。長浦海岸にあったタコの写真まである!!… https://t.co/ppuSKDCSjv
無電柱化民間プロジェクトが募集した電柱が邪魔な風景のハッシュタグ♯電柱フォトコンに電柱好きが集まり、癒しの空間となってしまった
戦前の1935(昭和10)年に、沖縄で大阪朝日新聞(当時)の記者が撮ったネガ277コマが見つかった。市場や漁、農作業など、人々の暮らしぶりが写し取られている。太平洋戦争末期の沖縄戦で、戦前の沖縄の写真の多くは焼失しており、専門家は「大変貴重な資料」と評価する。 朝日新聞大阪本社の倉庫内で眠っていたネガを、社員が偶然見つけた。デジタル化し、傷やカビを修復。82年前の沖縄が鮮やかによみがえった。 撮影したのは大阪朝日新聞のカメラマン藤本護氏(46年、40歳で死去)。社会部記者の守山義雄氏(64年、53歳で死去)とともに沖縄を訪れ、糸満や名護の漁業などを取材した。大阪朝日新聞に、35年7月に連載「海洋ニッポン」が10回掲載されており、写真の一部も載っている。 見つかったネガには、漁業の様子だけでなく、にぎわう那覇の市場や、古謝(こじゃ=現・沖縄市)のサトウキビ作り、軌道馬車や人力車などの移動手段
戦前~戦後のレトロ写真 @oldpicture1900 1917年(大正6年)ごろ。ライボルトという独軍捕虜が収容所の近くで撮影。兄の頭を剃る母親と、その横でポーズを取る妹。 pic.twitter.com/GPOkts4uTE 2016-02-26 18:42:48 しいたけ @zidaiokure_21th @oldpicture1900 第一次大戦中、ドイツの租借地であった中国・青島で捕らえられた約4600人の独軍将兵が、捕虜として徳島県板東町(現:鳴門市)の収容所で生活していました。 大正7(1918)年6月には、日本初となるベートーベンの「第九」が彼らによって演奏されました。 pic.twitter.com/MvGQnozDAp 2016-12-21 00:47:04
前川泰徳 (メロンパンくん) @melonpan_mae 撮影は携帯カメラ(iPhone6)です。金網を避けるためにハイアングルで撮ると、近くのヤギは背中が写り、遠くのヤギは表情が見えない写真になります。
8月14日に日本政府が受諾通告したポツダム宣言をうけ、連合国軍代表として米陸軍の太平洋陸軍総司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官 (SCAP) に就任し、同年10月2日、GHQや進駐軍と呼ばれる連合国軍最高司令官総司令部が東京に設置された。 1952年4月28日、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効とともに、GHQは廃止となったがまだ支配下に置かれていた1945年後半から1952年においての日本の都心部の町の様子を撮影した35mmフィルムが、60〜70年も前の映像にもかかわらず保存状態もよく、高画質であるとして話題となっていた。 映像には当時の東京、横浜など都心部に住む人々の様子が鮮明に記録されている。
1人で御嶽山を登山中、噴石に当たって亡くなった長野県池田町の野口泉水(いずみ)さん(59)は、死の直前まで、入道雲のように広がる灰色の噴煙を撮影していた。妻弘美さんが3日、遺体とともに戻ってきたカメラの写真を公開した。 山頂付近の噴煙の様子が写っていたのは4枚。逃げ惑う登山者の姿も写っていた。 野口さんは、近所でウオーキングを始めた弘美さんに登山を勧めた。景色のよい美ケ原高原、北アルプスの五竜岳。昨年から2人で登ってきた。この日は仕事の休みが合わなかった。 弘美さんは「噴火の写真なんか撮っていないで逃げてほしかった。でも、命がけで撮った迫力ある写真だから、みんなに見てもらいたい」。 建設会社でダムや道路建設の現場責任者をしていた野口さん。上司は「面倒見がよく、どんな人からも慕われた」。昨年は地元自治会の班長も務めた。 紅葉で色づく木々や足元に咲く白い草花……。カメラには御嶽山の自然を写した
大正から昭和初期にかけて撮影された森林鉄道などの写真を集めた企画展「林鉄と山のくらし~局長室の保存写真から~」が、高知市丸ノ内の四国森林管理局で開かれている。 総延長が国内最大規模だった魚梁瀬(やなせ)森林鉄道や、木材を運ぶ様子などを写した約90点で、初公開など貴重な写真ばかり。来年1月9日まで。 局長室に保管されていたアルバムから、5月に見つかった。同管理局の前身にあたる高知大林区署や高知営林局の職員が撮影した。 魚梁瀬森林鉄道は1911年に開通し、魚梁瀬杉など良質な木材を馬路村や北川村から運び出した。本線・支線を合わせた総延長は約300キロで、全国各地にあった森林鉄道の中で最大規模だった。63年に廃止されたが、現在もトンネルなどの遺構が残る。2009年には重要文化財に指定された。 勾配を利用して坂を下り、帰りは犬や馬に貨車を引かせた初期の森林鉄道や、後に導入された蒸気機関車が煙を上げて
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