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日本文化と認知に関するgitanezのブックマーク (2)

  • 変化と固定化:日本に期待されていること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 変化する動きそのものを重視するか、固定化されたモノそのものを重視するか。 ここ最近のエントリー、 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること意味を超えたところにある何か不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ庭と日人/上田篤 で書いてきた日古来のモノの見方には、そのことが大きく関わっていると思います。 「意味を超えたところにある何か」で引用した養老孟司さんの言葉にあるように「生き物は二度と同じ状態にあることはなく、反対に表現は決して変化しない」のであって、このいずれ-同じ状態にあることなく変化し続ける生物・自然か、人間によってコントロール可能な形に固定化された人工物か-に価値をおくか=畏れるかは、人びとの思想を形づくるうえで重要な岐路となりえます。 その岐路

  • 不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 もしかしたら客観性とは、いまを生きる自分がもつ同時代性を越えて、自分に時代を越えた視点を与えてくれる視点なのかもしれないな・・・。 昨日の「意味を超えたところにある何か」ではそんなことを書きました。 意味に問えば、人は必ず同時代の言説や物事、しくみに縛られざるをえなくなります。 しかし、意識的に知覚することはできない小さな声であっても身体は感知しているのであって、その声に従うなら時代を超えて古(いにしえ)の世界を知ることもできるのではないか。 白洲正子さんの『かくれ里』を読みながら、そんなことを考えます。 自然の景色は、それこそ「つはものどもの夢の跡」で、すべてを呑みこんで黙しているが、その気になって付合えば、ついには口をわってくれるものと、私は信じたいし、信じてもいる。少

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