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changeに関するgitanezのブックマーク (3)

  • 「我を捨て、自分の外にでる」ということの意味: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「僕にはそれは無理」「私にはちょっとむずかしすぎる」 うーん。なんでそう自分を決めつけちゃうんでしょうね。自分を一点に縛りつけようとするんでしょう。 そのほうがラクだからなんでしょうね、気持ち的に。 私は○○だ。○○はそれはできない。だから、私はそれができない。 と言い訳を組み立てた方が「できない」ということが理屈にあってて仕方のないことだという気がしますからね。 実際にはそうはいってても「できない」はずのことが「できちゃった」なんてなる日が来ないとは限らないんですけど。人って自分で自分をいくら決めつけたところで変わるものですから。 その意味で、ある時点であることができた/できないということで、自分の可能性なりタイプなりを固定してしまうことには大した意味はないし、むしろ、そ

  • 未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 多和田葉子さんの中篇小説『ふたくちおとこ』に登場する、口と肛門のふたつの口で話すティルは、当は名前がなく、みんなのなって欲しいものになる。観光客の前では「オンガク」や「ワイン」と名乗り、手伝いを必要としているパン職人の前ではパン職人と名乗ります。また、鍛冶屋の親方から「おまえのせいで経費にマイナスが出た」と言われれば「わたくしの名前はマイナスであります」と切り返します。 町から町へと渡り歩いたティルは「ニーダーザクセン中世の旅」に参加する日人ツアー客の一向にまぎれこみます。ティルの言葉の上でなっただけの言葉は、ツアー客の一行に混乱の種を蒔き、日人ガイドはティルの言葉を通訳しようとして、まったく別のことをしゃべってしまう。その通訳の内容を聞いて、観光客はまた勝手な方向へ

  • 変化に学ぶ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 過去のある時点Aと現在の時点Bを比べた場合、そこに変化を見るのか、何も変わっていないと見るのか。そこに正解はないと思っています。それはどういう視点に立脚して比較を行うかに関わってきますから、測定する人の主観に依存します。 ただ、ちょっと思うのは変化を見るほうがその人にとっては有益なのかなということ。変化を見るということはそこにAとBの間に生じた違いという差に関する情報を得ることです。その人にとっては知識が増えるわけです。もちろん、有益と書いたのは、知識が増えることを有益と見た場合です。 例えば、Web2.0というものを見る場合、それが以前から変わらないと見るか、変わった点を見るかということにやっぱり正解はない。でも、後者のほうは新しい情報が得られるわけです。 例えば、僕はユ

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