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physicalに関するgitanezのブックマーク (2)

  • 身体なき体験の終焉(いや、はじまってもないけど): DESIGN IT! w/LOVE

    しかし、コピーできないのは実は体験だけではありません。ものそれ自体も来的にはコピーは不可能です。もちろん、ここでいっているものはコンテンツではありません。コンテンツは消費の対象になりますが、ものは所有の対象になりえます。もちろん、すべてのものが所有欲を喚起されるわけではありませんし、すべてのものが他との差異によってコピーを拒むわけではありません。 人間にはCDやDVDのような物理メディアの形でコンテンツを所有したがる習性がある。しかしこれは、コンテンツ自体を消費者が求めている、ということとイコールではない。消費者は「所有している実感」を求めているのだ。 そう。人はコンテンツを所有したいのではありません。ものを所有したいのです。ただし「所有している実感」こそがものを所有することでしか生まれえないことがここでは不問にされていますが、僕はここにこだわってみようかと。 いや、所有しているという体

  • 普通にできることのレベルをあげるための練習:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「「考える」方法を学ぶ」に関する補足です。 物理的なアウトプットのすべてが必ずしも表現の結果だとは限りません。 物理的なアウトプットというと何か頭のなかにあるものを表現することだと思ってしまうかもしれませんが、僕は物理的なアウトプットが必ずしも表現だとは限らないと思っています。 いや、むしろ、身体を通じて物理的につくりだされるものの多くは表現ではないほうが多いはずです。身体は意識を媒介せずに実に多くのものをアウトプットしてくれるんだと思う。 それは表現技術ではなく、また違った身体能力で、「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」で引用した原研哉さんのクロッキーの話は、むしろそういう文脈で読まなくてはいけないんだと思います。 最初はや

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