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renaissanceに関するgitanezのブックマーク (3)

  • とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった」。 これが『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』で著者のポール・バロルスキーが描くルネサンス文化のイメージだ。 ユーモラス、冗談、剽軽、奇矯、ウィット……。 ルネサンスと聞いて、すぐさまこれらの印象を思い浮かべる人がどれだけいるだろうか。 それくらい、バロルスキーが教えてくれるルネサンスのイメージは、通常のルネサンス像とは距離があるように思う。そして、この距離感こそが僕の興味をひいたものの正体だ。僕は違和感に興味をひかれる。 「この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエ

    とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー: DESIGN IT! w/LOVE
  • すばらしいものはもう過去に達成されている: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが言っていることですが、最近みたレオナルド・ダ・ヴィンチやル・コルビュジエの仕事を考えると、まさにそのとおりだと感じます。 余計なことをしたくないということが前提ですからね。でもそれは最初から余計なことをしたくなかったわけではなくてむしろ余計なことをしてきたのです。古典的ですし、バウハウス的な感覚もどちらかというとあるし、ミース・ファン・デル・ローエに対する憧れもある。すばらしいものはもう過去に達成されていると思います。すべて完璧に達成されてしまっている。 昨日の「成功の障害としての「わかってるつもり」」とも関係すると思いますが、結局、いまを生きる僕らが行うべきは、すでに完璧に達成されたものをいまの文脈において

  • レオナルドは未来である:オルタナティブを考える力2: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 書評エントリー「天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎」や「創造性は「過去の経験×意欲」という掛け算であらわすことができる」というエントリーですでに2回も取り上げた茂木さんの『天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』というですが、明日、同僚に貸すことにしたので、最後にもう1つだけエントリーを。 源流に戻る道に迷ったら、迷う前の自分がちゃんとわかって歩いていた地点まで戻れというのは、ある種の鉄則の1つです。 それは実際の道でなくても、同じであるようです。 現代の文明は、ある種のゆきづまりを見せていると思いますが、このゆきづまりを打破するために、それが生み出された源流であるルネサンスに戻ることも、ひとつの方法としてあり得ると思います。 レオナルドが生きたル

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