1. 社会における表現の問題に関しては、「規制すべきか否か」をバトっていても、あまり意味はありません。「表現の自由」と「人権保障」の対立が起こったときに本当に議論すべきことは、表現のインフラを具体的にどう設計していくのか(既存の制度のどこをどう微調整・修正していくのか)です。広告表現はすでにかなり多くの規制から成り立っているので。 言い換えると、道徳論争はやっても決着がつかないことはある程度目に見えてるし、消耗率激しいので、お互いそれぞれの道徳感情や正義観があることを踏まえた上で、双方の意見を両立させるために、どういう実装化ができるのかを考えるのが重要ということです。これは別に冷笑主義とかエリーティズムとかではなく、社会科学というのはこういう営みのことを言うのだと私は理解しています。*1 でも、これはちょっと専門的っぽい話になるので(私はここらへんの専門家ではないのだが)、今度の#シンこれ