「3月3日にくたばってくれてよかった。3.11を目の当たりにしたら死んでも死にきれないだろ?」 祖父の話題になるたびに僕はそう言って笑う。そういうとき、声を潜めて「そういうことはあまり大きな声で言わないほうが…」と諌めてくる人が少なからずいて驚く。実際に震災に遭われた方、津波で亡くなられた方に配慮して…というのがその根拠。百年生きた元漁師の老人の人生の最後に、あの惨事を見せたくなかっただけだ。神妙にしていないと駄目な風潮は、わからないでもない。ただ、僕のように被災を免れた人間が、被災された方の悲しみに寄りそって、悲しい歌を歌うような行動をとることに何の意味があるのだろう。悲しみのロールプレイング、コスプレにすぎないんじゃないか。この世界は悲しみが覆いつくすにはあまりにも狭いけれど、人が地上を覆う悲しみをひとつひとつ、一歩一歩癒していくには広すぎる。それならば、さいわいなことに被災していない