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訃報に関するguraliのブックマーク (5)

  • 「談志に永さん、あの世がにぎやか」 毒蝮三太夫さん:朝日新聞デジタル

    ラジオや舞台での共演など、公私ともに永六輔さんと親交が深かった毒蝮三太夫さん(80)は、「大きな昭和の火が消えたと感じるね」と話す。 ◇ 最後に顔を合わせたのは、2カ月ほど前。都内の病院に入院していた永さんを見舞った。「ずいぶん弱っててね。おれのこと、わかってくれたとは思うんだけどなあ」。病状が悪化する前、永さんは会うたびに、「これが最後になるかもな」「おれは病人なんだから」とふざけていたので、その冗談も口にできない姿を見て、覚悟はしていたという。 1970年代に、ラジオ番組で共演して出会った。互いに江戸っ子で、気が合った。「おれがげたを履いて、ベーゴマや剣玉をやる下町の悪ガキなら、永さんはランドセル背負って学校に通う二枚目のエリート。山の手のにおいがするんだな。だって、歌詞にしても、にしても品がいいでしょ」と振り返る。「自分にないものを持っているから、おれを気に入ってくれたんだと思

    「談志に永さん、あの世がにぎやか」 毒蝮三太夫さん:朝日新聞デジタル
  • 黒柳 60年来の親友・永さんと「結婚話」あったと告白…「最後の一撃」と悲痛 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

    テレビの黎明期から活躍し、ラジオパーソナリティとして、また「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど、多方面で活躍したタレントの永六輔さんが11日、83歳で亡くなった。浅草出身。永さんは、長年パーキンソン病を患っていた。60年来の親友である黒柳徹子(82)が同日、テレビ朝日を通じて追悼コメントを発表。「このごろお友達が亡くなって、当に、最後の一撃のような、永さんの死です」と悲しみにうちひしがれている心境を吐露した。 【写真】黒柳の“芸人殺し”とは…「徹子の部屋」で生体験した芸人が激白  また、書面の中で、昌子夫人が14年半前に亡くなった後、黒柳と結婚の話が持ち上がっていたという秘話も明かされた。黒柳は「(永さんが)一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと、わかっていました」とつづっている。 亡くなる3日前と4日前には

    黒柳 60年来の親友・永さんと「結婚話」あったと告白…「最後の一撃」と悲痛 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
  • 永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍:朝日新聞デジタル

    放送作家の草分け的存在でタレント・作家の永六輔(えい・ろくすけ、名永孝雄〈えい・たかお〉)さんが死去したことが11日、分かった。83歳だった。 東京・浅草の浄土真宗の寺に生まれた。10代後半でNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始めた。早大在学中から、開局して間もないNHKテレビや日テレビの番組で台などを手がけ、放送作家として腕を磨いた。 作詞家としては、作曲家中村八大とのコンビで、日米両国で大ヒットした「上を向いて歩こう」(1961年)や「こんにちは赤ちゃん」を送り出した。いずれもNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」から生まれた曲で、テレビ番組の企画・演出なども含めマルチな才人ぶりを発揮した。梓みちよが歌った「こんにちは~」、水原弘による「黒い花びら」はレコード大賞を受けた。 67年にTBSラジオで始めた… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます

    永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍:朝日新聞デジタル
    gurali
    gurali 2016/07/11
    一度だけお会いしたことがあり、自分の想像より小柄な方で驚いた記憶がある。外山惠理とのやり取りはもう聞けないんだなあ。お疲れ様でした。
  • 生頼範義さん死去 「ゴジラ」ポスターなどイラスト制作:朝日新聞デジタル

    生頼範義さん(おおらい・のりよし=イラストレーター)が27日、肺炎で死去、79歳。通夜は28日午後7時、葬儀は29日午後0時10分から宮崎市花ケ島町柳ノ丸508の1のプリエール宮崎花ケ島の杜(もり)で。喪主は康子さん。 映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」の国際版ポスターで注目された。「ゴジラ」シリーズのポスターや吉川英治氏の小説「宮武蔵」の表紙絵、ゲーム「信長の野望」のイラストなどを手がけた。

    生頼範義さん死去 「ゴジラ」ポスターなどイラスト制作:朝日新聞デジタル
    gurali
    gurali 2015/10/28
    黙祷。訃報はショックだけど、作品は生き続けるってこういうことを言うんだなと思う。時代を築いた人の作品は死なない。
  • 「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしさん死去 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。 家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。 井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。 44年、戯曲「日人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを

    gurali
    gurali 2010/04/12
    国語の教科書に載ってた「握手」が今も強く印象に残ってる。ご冥福をお祈りします。
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