orangestar.hatenadiary.jp orangestar.hatenadiary.jp さすが。ぞくぞくする感想でした。 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』を視聴した人の多くは、多かれ少なかれ、id:orangestarさんに近い感想も抱いたのではないかと思います。でも、ここまで言語化できる人はめったにいないんじゃないでしょうか。 「マクギリスは、秩序を知らないから、秩序と暴力の関係を読み損なった」とは、まったくそのとおりだと思います。なるほど、そういう風に言語化できるわけですか。 私は『鉄血のオルフェンズ』の感想をまとめようか迷っていましたが(今、いろいろ忙しい)、触発されて、自分の『鉄血のオルフェンズ』観を書き残したくなってしまいました。、時間が許す範囲で、orangestarさんへの私信として並べてみます。 素晴らしい骨格のストーリーと、肉付きが貧弱だった終盤の
『アルドノア・ゼロ』の第2期が始まりまして、イナホくん無双が再開したようで。僕はまだ第1期の第8話で止まっていますのでとりあえずOPが澤野弘之楽曲ということで初回放送だけニコニコ動画で観たのですが、「さすが虚淵」とか「やっぱ虚淵なんだよなぁ」みたいな虚淵玄さんに関するコメントを多く見かけました。 確かに『アルドノア』は虚淵さんが主要スタッフとして関わっている作品なんですけど、ストーリー原案と第1期第1~3話脚本だけですので、それ以降の展開はシリーズ構成を担当している高山カツヒコさんによるところが大きいと思います。実際、虚淵さんが『仮面ライダー 鎧武』参加の為に『アルノドア』を抜けたあと高山さんやあおきえい監督らの手によってストーリーラインが変化した旨の発言をしていますし、第1期第4話以降の展開も全て虚淵さんの手腕によるものではないことは明らかです。 『PSYCHO-PASS』も同じくなんで
おはぎさんの (アニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて ) http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2186.html にインスパイアされて。 以前はアニメを厳しく見ること、厳しく評価する事が良い見方だと信じていました。 厳しく見れば、評価すれば、良い見方が可能になると思っていました。 そして自分が大好きな作品のレベルに達しない作品はダメだという評価をしていました。 この考えの元、色々な作品を見ては、 「作品Aはダメ。○○な理由で良くない」 「作品Bはダメ。○○な理由で良くない」 と評価を下していきました。 そう、学生時代の頃から数年間は以上のような見方を続けたと思います。 でも、自分なりの厳しい見方をし続ける内に、 自分の中にある変化が起こっていることに気がつきました。 「あれっ。新しく見る作品が無くなってきている…」 「最
はじめに 今回は、おはぎさんの以下の記事、 失われた何か アニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて にインスパイアされて。記事構成を少しだけ似せて書いてます。 楽しく見ることで失ってしまったもの そんなものはない! だけど、「優しく」見ることで失ってしまうものはあるかもしれない。多分これからもだけど、アニメを楽しく見ること、楽しく評価することが良い見方だと思っていますし信じています。楽しく見れば、評価すれば、良い見方が可能になるし、他人と共有したり伝えたりした時にポジティブな見方をしてもらえると思っている。例えそのアニメがめちゃくちゃに楽しめなかったとしても、どこかに楽しさを見出し、そしてそのアニメを手放しで誉めるようにしていました。 この考えの元、色々な作品を見ては、 「作品Aは素晴らしい。◯◯な部分が素晴らしい」 「作品Bは素晴らしい。◯◯な部分が素晴らしい」 と評価を下して
はじめに 今回はアニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて。 最近この見方について色々思うところがあったので、 自身の体験を踏まえて語っていきたいと思います。 厳しく見ることで失ってしまったもの 以前はアニメを厳しく見ること、厳しく評価する事が良い見方だと信じていました。 厳しく見れば、評価すれば、良い見方が可能になると思っていました。 そして自分が大好きな作品のレベルに達しない作品はダメだという評価をしていました。 この考えの元、色々な作品を見ては、 「作品Aはダメ。○○な理由で良くない」 「作品Bはダメ。○○な理由で良くない」 と評価を下していきました。 そう、学生時代の頃から数年間は以上のような見方を続けたと思います。 でも、自分なりの厳しい見方をし続ける内に、 自分の中にある変化が起こっていることに気がつきました。 「あれっ。新しく見る作品が無くなってきている…」 「最近、
たまにはイラストじゃない記事も。 最近のアニメ評、特に『らき☆すた』や『けいおん!』などに代表される日常系のアニメに多いのが「中身が無い」という常套句。 僕はこの言葉を見るたびに「『中身が無い』ってどういうこと?」と首を傾げてしまうのです。 たとえば、30分ずーっと砂嵐やカラーバーを放映しているだけなら「中身が無い」と言われるのも頷けます。でもアニメにはそれなりにストーリーやキャラのかけあいがあるわけです。それが中身・内容だと僕は考えてるんですけど、それが「ある」のに「ない」というのは一体どういうことなんでしょうか? 『らき☆すた』を例に挙げると、アニメ『らき☆すた』の第一話Aパートっていうのは「女の子たちが数人集まってお菓子やら焼肉やらの食べ方についてそれぞれの流儀やルールなどを語り合う」といった内容なんですが、つまりこれが「中身」なわけです。 『けいおん!』も同じで、簡単に第一話のあら
松田未来 コミティア146 C50b 「翼駆人アラン 第Ⅵ章」 @macchiMC72 @MiyaPPOTEZ540 作り手側が品位を持つべきという論は、当の作り手側が言う限りは正論です。仰る通りです。ですが、他人に強制したり、法律にしたり、押し付けがましくなれば急に色褪せます。品位なんて人・時代によって振れ幅が大きすぎますからね。 2011-02-09 17:16:12 松田未来 コミティア146 C50b 「翼駆人アラン 第Ⅵ章」 @macchiMC72 富野監督は「ジャリ番」と蔑まれてきたロボットアニメを作り続けてきた人ですから、あの人でないと言えない重みのある正論だと思います。決して外野が作家に対してぶつけたり、ましてや法律で画一に規定していいことじゃない。 2011-02-09 17:21:58
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