ここで言う「現実肯定」とは一種の「絶対観」であり、貧しい現状をこそよきことだと納得する妙好人的な奴隷根性の獲得を意味するものではない。*1 ――絶対観。 それはもう動かしがたい、変えがたい、どうしようもないという諦観である。 その「悲観」を、「悲観」こそが「現実」としてあるのだという認識、それが「肯定」である。 「負け組」は夢を見ない。なぜなら希望などとうに失われているからだ。 そんなものは、「革命」への熱狂を冷めさせそれに取って代わった「経済」をも破綻した今、まなざす先は足元でしかない。 「負け組」は不安を煽られない。そんなものはもう既に十分だからだ。 ここに言う不安とは、「ねばならない」というイデオロギー=強迫観念によって商品購入を煽る、広告システムのことである。そのような無駄な消費を強要する広告に煽られるまでも無く、もっと基本的で深刻な部分への不安が「負け組」には充満しているのである