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数学とアメリカに関するguutarouのブックマーク (2)

  • 数学のできない大学生を見て思うこと - Willyの脳内日記

    先日、「大数の法則と中心極限定理を恋愛小説風に語ってみる」 というおちゃらけ記事を書いたが、それにはきっかけがあった。 それは、数学のできない大学生のことだ。 私がいるWS大(学部)は入学が易しい。 出願者の母集団は米国のごく平均的な高校生だと思われるが、 その約80%に入学許可を与えている。 大学は入学した全ての学生に対して 数学を最低1科目履修する事を義務付けているので、 かなり数学が苦手な学生も何らかの科目を履修することになる。 私は昨年、そうした数学が苦手な学生向けのコースを受け持った。 学生の数学的知識は、日の公立中学3年生と同じくらいであったように思う。 公立中学と同じように、できる子は結構できるし、 できない子は平面上の直線の式も覚束ないという感じで、バラツキも結構大きい。 ちなみに、日では「分数ができない大学生」というのが昔話題になったことがあったが、 アメリカの簡単な

  • アメリカで数学を教えるということ - Willyの脳内日記

    数学はユニバーサルな分野であることは疑いがないが、 日の高校レベル、あるいはアメリカの学部中級レベルくらいまでは、 学生が期待する教え方は大きく異なるように思う。 1.アメリカでは簡潔な説明、日では詳しい説明 アメリカ人の学生は簡潔な説明を好み、 日の学生は詳しい説明を好む。 はじめにおかしいなと思ったのは米国W大M校の 大学院に入ったときのTAの研修の時だ。 現役のアメリカ人のTAが出てきて例題を一題解説した。 解説がギャップだらけでとてもじゃないが聞いてられない。 板書も汚い。しかし、教授陣の評価は上々である。 翌日、今度は自分が模擬授業をさせられた。 詳細な説明や板書で臨んだところ、 「回りくどいので簡潔に。 細かい話は必要なら後からすれば良い。」 と言われてしまった。 2.アメリカの教科書は冗長、日の教科書は簡潔 アメリカの学部入門向け教科書は異常に冗長だ。 余計なことがだ

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